高橋亀吉・私の実践経済学

数日前のエントリー記事でも書いた、大学時代に属していたサークルの現役学生たちから、学生たちに何かスピーチをしてほしいという要望があり、とりとめのない話を昨晩1時間半ほど大学の教室でしてきた。大学内で約100年の歴史を持つ経済を研究するサークルであるが、「経済学を学ぶのではなく、経済を学ぼう」と、自戒を込めて話をした。このサークルの百年前の創設者の一人が高橋亀吉氏である。
高橋亀吉は昭和52年に八十六歳で没した戦前・戦後を通しての著名な民間エコノミストである。東洋経済新報社が2000年に「20世紀の日本を代表するエコノミスト」をアンケート調査したとき、高橋亀吉は下村治や金森久雄、石橋湛山らをおさえて堂々の一位に輝いた。
高橋亀吉の代表的な著作に『私の実践経済学』がある。そこで高橋は「教科書からでなく現実から学びとれ」と主張する。かれは大正10年にアメリカやイギリスへと海外視察に出かけ、国の違いを当時のデパートの台所売場や家具売場から感じ取ったという。各種の条件が大きく違う国の経済を一律の理論や尺度で考えてはいけないということを肌で感じ取ったという。

私の実践経済学

私の実践経済学

事実をみて、これはなんだと考えぬき、理論にまで仕上げることが大切なのだ。この態度が自分自身の理論なり哲学をつくっていくことになるのだ。理論は本の中から学べばいいものだ、と決めつけてしまってはいけない。

日本経済新聞は、今日の朝刊1面で「大学は変われるかー教育力を高める?」を掲載している。一方通行の講義の反省から、学生の手元通信端末で、講義が理解できたか、できなかったかを瞬時にパーセンテージ表示できるような仕組みを北海道大学で導入したなどの紹介が出ている。なんともお笑いである。こんな小手先のことでは、もう回復できないほど大学の授業の現場は硬直化しているという感想を昨日の学生との交流で感じ取った。大学とは何か、教育とは何かを根本から考え直さないといけない。
最近、医療機関で診断を受けると、医師の先生方は、患者の顔や肝心の体に障ることなく、ひたすらコンピュータの画面を見ながら患者と会話を交わす。もう、こうした光景は慣れっこになってしまい患者側も不思議に感じなくなってしまったのではないか。これも現実軽視のあらわれである。
理論を学び、理論から考えるのを全面否定するつもりはないが、現実をよく見ることなく、対応をしてしまう愚を反省すべきは、学生だけでなく社会人でも同様だ。とくに変化の大きな時代にあっては過去の延長線上に未来が訪れることはないのだから。