川崎とテキサス州オースチン

連休中に川崎市民ミュージアムに出かけた。http://www.kawasaki-museum.jp/
美術館や博物館というのは敷居が高いイメージがあるが、必ず多くの発見やアイデアのヒントが生まれる場所である。川崎市民ミュージアムは、先日のエントリーでも取り上げた南武線武蔵新城駅にもほど近い川崎市中原区等々力にある。Jリーグの川崎フロンターレのホームスタジアムである等々力陸上競技場を含むスポーツと文化の施設が集約された場所にある。等々力というと東京都世田谷区にある等々力渓谷をイメージされる方も多い。世田谷区の等々力と川崎の等々力は多摩川を挟んで、かたや東京都であり、かたや神奈川県である。これも先日とりあげた「神奈川県民も知らない地名の謎」(PHP文庫)によれば、明治時代までは二つの等々力は一つの大字(おおあざ)で、どちらも東京都に属していた。「一説によれば、多摩川水系の河川の一つ、谷沢川の下流に「不動の滝」があり、この滝の発する音が地名の由来とも言われている。」
このミュージアムでは無料の常設展示で川崎の歴史を再現してくれている。川崎市は人口約140万人を抱える全国8番目の大都市でありながら、一般的にはイメージが薄い都市である。イメージが薄いといっても昭和30年代から40年代にかけてはそうではなかった。高度経済成長を支えた京浜工業地帯の中心地で、鉄鋼や電機、化学といった重化学工業と工場の煙突から出るばい煙から公害都市のイメージがついていた。
展示場でもこの高度成長期の川崎の躍動をビデオ映像が教えてくれている。白黒映像の当時の映画ニュースを見ていると何故か、気持ちも高まってくる。あの高度成長時代の息吹が甦ってくる。川崎の海岸地帯を埋め立てるために大型ダンプが行きかい、多くの工場の工業用水を確保するため多摩川水系に貯水施設が作られていく。

高度成長の末期の昭和46年に光文社のカッパブックスから『斜陽都市』が発刊された。著者は当時の慶応大学助教授であった経済地理学の高橋潤二郎氏である。私は高校時代にこの本を読んだ。そこで高橋先生は「川崎が生き残るには工業都市から総合的な都市機能を備えた百万都市へと脱皮を試みることが望まれる」と書かれている。
その時から約40年、川崎は総合都市に変貌した。かつての工業都市の面影を残しつつも、最近では芸術にも力を入れる都市になりつつある。しかし、すでに「総合」というのは時代遅れになりつつもある。平板的になんでもありの総合というのは、単なる寄せ集めでしかない。しっかりとした核となるものがあり、それを取り囲むものがバランスよく配置される総合であればよいが、核のない総合であってはならないと思う。川崎も特徴のない総合であってはならない。隣接の横浜もかつては港という核があったが、今ではその核のパワーが落ち、平板化している。都市の核を見つけ、育て、花開かせることが日本経済・日本社会の活性化につながっていく。
アメリカの代表的な週刊誌である「TIME」が、10月28日号で「Why Texas Is America's Future(なぜテキサスはアメリカの未来なのか?)」という記事を掲載している。ニューヨークや西海岸の都市からテキサスへと人口が流入しているという。オースチンはその代表的都市であるという(記事の写真参照)。キーワードはエネルギー、低価格の居住環境である。30万ドル(約3000万円)で購入できる住宅の広さの比較を記事では取り上げている。サンフランシスコなら20平米のアパートメント、ブルックリンなら46平米のアパートメント、オースチンなら280平米の一戸建て住宅だという。
だからといって川崎がオースチンになるわけではない。あまりにも両都市は違いがありすぎる。しかし、核となるものをいかに見出すかということでは、世界各地の都市は学ぶに値する。川崎はどこに向かって次世代に地域を受け継いでいくのであろうか。