生命知の殿堂

90歳を超える高齢の父親を身近に見ながら、最近次の二つのことを考えたりしている。
−看護と医療
−地球の病理と人間の病理
の二つだ。
●看護と医療
看護と医療について刺激を受けたのは先日のブログ・エントリーでも若干触れたが瀬江千史氏の一連の著作である。

・医師の役割は病気の診断と治療である。医師は治療を行う専門職として存続し発展してきた。
・病気という日常性から逸脱した、おそろしい特殊な状況において、それを診断し治療して回復させる特殊技術としての医療と、それを施行する医師が、それに成功しさえすれば、社会的評価を獲得する。
・一方で、看護を目に見える働きとしてとらえてみると、人々の眼を惹きつけ驚嘆させるような事実はひじょうに少ない。その理由は、看護が人々の日常生活のあり方を整えることを基盤とした実践であるからである。
・これは、ナイチンゲールの看護の原点ともいえる名著「看護覚え書」の目次を一瞥しただけでわかる。「換気と暖房、食事、栄養、ベッドと寝具類、陽光、部屋と壁の清潔…」といった、まさに日常生活そのものがとりあげられているのである。

(過去エントリー)http://d.hatena.ne.jp/kohnoken/20131109
看護というのは医療の補助ではない。看護と医療はどちらが上でどちらが下というものでもない。病気の患者と向かい合ったとき、自らの専門性を発揮し、自らの力が及ばないときは別の専門家をコーディネートする。医師も看護師もプロデユーサーでなければならない、ということだろう。
●地球の病理と人間の病理

ガイアドクターのメタ診断 生命知の殿堂 現代医学と日本政治の病理を抉る!

ガイアドクターのメタ診断 生命知の殿堂 現代医学と日本政治の病理を抉る!

3・11がきっかけで地球環境とエネルギーの問題がわれわれの前に大きな問題としてつきつけられている。しかし、原発反対と叫ぶのは簡単だが、政治や経済に責任を持つリーダーは、高校の科目「地学」の最低限のレベルの基礎を知ったうえで、判断をしなければならない。それと同時に、病理ということについて考え直さないといけない。
グルノーブル(フランス)大学出身で構造地質学を専攻した理学博士のガイアドクター藤原肇さんは、『生命知の殿堂』(2011年刊)で、自らのガン体験とあわせ、地球の病理と人間の病理を語っている。地球を患者として診断してきたオイルマンが、「がん」と遭遇。そこで開眼して見えてきたものを語っている。

かつてオイルマンだった私は、医学と石油開発の相似象に魅了された。鉱物資源は地球における「がん」化物質であり、石油は膿に過ぎないし、炭田や鉱床は腫瘍に相当すると考え、地球の生理異常を診断する医師として、30年も前からそう書き続けてきた。
アメリカで思いがけず「がん」体験との出会いの好機を得て、現代医療を文明史から捉え直す時間に恵まれた。
宇宙も地球も生命体として脈動しており、文明、社会、人体すべてが相似象でありし、大自然は生命学のテキストに他ならず、生きた聖典の宝庫である。

身近なところから看護、医療、環境、エネルギー、組織経営のことを考えていきたい。