たたかう植物~仁義なき生存戦略

【書評】『たたかう植物~仁義なき生存戦略』稲垣栄洋、ちくま新書、2015年刊
7月も半ばに入り、もう少しすると子供たちは夏休みに入る。
夏休みというと、アサガオの観察日記をつけたことを思い出す。
種を蒔くと双葉が出て、本葉が出た後はぐんぐんと伸びていく。
その急成長するアサガオは、企業の競争でいえば成長期のベンチャー企業のようだ。
アサガオが急成長するのは、「つる」で伸びる植物だからだ。
ふつうの植物は自分の茎で立つので、茎を確立するのに時間がかかる。
アサガオは他の植物などに絡まり、頼りながら伸びるので、エネルギーを節約できて伸びが速い。
いち早く生長できれば、広々とした空間を占有し、存分に光を浴びられる。
軍事や政治経済で他国に頼る国の競争に似ていないだろうか。
植物を見ると癒される、と言われている。
すくすくと太陽に向かう木々や美しい花々。
植物は争いのない平和な世界のように見える。
動物は、他の生き物を食べたり、植物を食べて生きている。
植物は他の生き物を殺さなくても生きていける。
太陽の光と水と土があれば生きることができる。
しかし、現実は、日光や水や土壌などの資源をめぐって、植物は激しい争いを繰り広げているのである。
平和そうに見える植物たち。
実は激しい戦いを演じている。
これが自然界の実態である。
本書は仁義なき戦いを繰り広げる「たたかう植物」を見事に、わかりやすく描き出している。
本書を読みながら、たたかう企業、たたかう国家、たたかう人間、たたかう生物に思いをはせてしまう。

オランダ領キュラソー

オランダ領キュラソー
MLBのエンジェルスの大谷翔平選手の活躍は日本人に多くの感動を与えている。
日曜日の昼下がり、PCに向かい原稿書きをしながら、TVに映し出されるアスレティックスとエンジェルスの試合をチラチラ見ている。
オランダ領キュラソー
キュラソーという言葉の響きに何故か郷愁を感じる。
キュラソーといえばラム酒をベースとしたリキュール。最近10数年飲んだことはないが、かつて飲んだ記憶がある。
ロサンジェルスエンジェルスのショートを守るのがアンドレルトン・シモンズ。
かたやオークランドアスレチックスにはジャリクソン・プロファーがいる。
どちらも、オランダ領キュラソー出身のメジャーリーガーである。
キュラソーとはポルトガル語で「聖心」という意味であることを知った。
カリブ海ベネズエラ沖に浮かぶ人口14万人の小さな島キュラソー島
シモンズ選手らの活躍でキュラソー島の名は日本でも広まった。
大谷選手のいるエンジェルス。どうしてもこのチームを応援してしまう。

永里亜紗乃、岩渕真奈と、かつてのドゥンガの言葉

永里亜紗乃岩渕真奈と、かつてのドゥンガの言葉
2019FIFA女子ワールドカップで日本のなでしこジャパンはオランダに敗れ、フランスの地を去ることになった。
ワールドカップでのなでしこの戦いを振り返って、NHKの解説を担当した永里亜紗乃さん(2015カナダワールドカップ準優勝メンバー)と、日本のエースとして活躍した岩淵真奈選手の2人のコメントに注目した。
たいへん厳しい眼と、強い危機感を持っている。
この経験をバネに来年の東京五輪で頑張ろうなどという悠長なことを言っていられないという気持ちが、この二人から伝わってくる。
暗に、現監督や協会への不満の声ともとれるものである。
永里亜紗乃さんのコメント
勝つチャンスは十分ある相手と内容だっただけに、ベスト16敗退という結果はとても残念です。これが今の日本女子代表の実力と認めざるを得ません。世界一を勝ち取った8年前、惜しくも準優勝で涙をのんだ4年前とは大きく立ち位置が異なり、結果だけを切り取っても危機感は募るばかりです。
常に日本の課題として指摘されてきたフィジカルや身体能力ですが、改善するための手は打てているのでしょうか。私は大会期間中、イングランドのトレーニングを取材する機会がありました。主に非公開練習のため目で確認できたのは冒頭15分のウォーミングアップのみでしたが、彼女たちは最初のアジリティトレーニングからフルスピードでした。次に重りをつけた状態でスプリントを行い、最後は重りを外した状態で約30メートルを全力疾走し、フィジカルトレーニング並みの負荷をかけていたのです。
 日本の場合、ゆっくりとしたランニングやストレッチで体をほぐすことが多いはず。集団で行う和気あいあいとしたウォーミングアップが一概に悪いとは言えませんが、こんなところにも明確な違いが見えたのです。スプリントの質・量の差はそのまま日常になる。もともと体格に恵まれている選手たちとこれだけトレーニングに差があれば、その差が縮まるはずはありません。
 日本人だからフィジカルが劣っていても仕方ない、という表現で片付けてはいけません。海外にも体の小さい選手、足の遅い選手はいます。でも国の代表に選ばれる選手たちは必ず努力し、トレーニングで改善を図っているのです。日本も最初から諦めてはいけないですし、起きている事象を課題として捉えて改善策を練るべきではないでしょうか。それができなければ世界との差は開く一方です。
オランダ戦後、涙を流している選手がいました。ですが、泣くのは何か後悔があるからではないでしょうか。私は現役時代も今も、泣かないために準備し、努力してきました。涙をすべて美談で終わらせてはいけません。
平日の朝4時に起床してなでしこジャパンを応援してくれた人がどれだけいたのか。今日や明日の各種メディアでどれだけ報じられるのか。取り巻く環境の変化を感じ、受け止め、次のステージへ進まなければいけません。
THE ANSWER 2019年6月26日
岩渕真奈さんのコメント
11年、15年に続いて3大会連続出場となったFW岩渕真奈(26)は
「これまでの大会と比べて、長い時間ピッチに立って個人的に充実はしていた。ただ、自分にはチームを勝たせる力はなかったし、全てにおいて物足りない。やっぱり悔しいなと思う大会だった」と総括。
その上で「16強で終わってしまったが、東京五輪に出場できるのは12カ国。自分たちは予選を免除されるが、その予選を勝ち抜いてきた強豪が出てくる大会ですし、一からというとネガティブに聞こえちゃうかも知れないですが、個人的な意見として全てを見直さないといけないと思っている」と現状に危機感を募らせた。
スポーツニッポン 2019年6月27日
かつてブラジルから日本のジュビロ磐田にやってきたドゥンガ氏が1998年に日本での経験をもとに著した本『セレソン』(NHK出版)で、手厳しくサッカー男子日本チームを評している。
これらは、今また、なでしこジャパンにも見事に当てはまるように思える。
1)日本チームはすべきことをし尽していない。
○勝つべき試合を落としたり、相手は弱いから簡単に勝つだろうという感覚が残っている。今までの試合の分析を徹底的にすべきだ。
2)日本チームはコミュニケーション不足
○ピッチ上で怒鳴ったりするのは敬意に反するという意識があるようだ。試合に負けたら敬意も何もない。注意をしないことで負けたら二人の関係は友人のそれですらない。
3)日本チームは間違いを見つけてもなかなか変えようとしない。
○トライしてだめなら、別の方法を考えるべきだ。
4)外部招へいでポリシーがしっかりしていない
○これまでに招聘した海外からの指導者や選手で問題のあった人もいるかもしれないが、根本は呼ぶ側のポリシーがしっかりしていないケースがほとんどだ。専門家畏敬主義ですべてお任せにしたり、呼ぶ側が過剰に口出ししたりといった事があってはならない。呼んでくるべきは、選手に教育のできる監督、チームに貢献できる人材、つまり日本選手やスタッフの模範になる人間でなければならない。
5)日本人はほんの少しのことを覚えると、もうすべて理解したような気になってしまうことがままある。
○サッカーはつねに学習を続けなければうまくならない。絶対に立ち止まることは許されない。
6)日本人は謙虚さが足りない
○ワールドカップのレベルとアジアのレベルは違う。アジアで代表に選ばれるのと南米で代表に選ばれるのとではそのプレッシャーは大きく違う。たかがオリンピックでブラジルに1勝したということを語り草にして喜んでいるような陳腐なメンタリティは捨てたほうがいい。
7)キャプテンは医者である
○キャプテンというのは監督と選手の間に立つつなぎ役ではあるが、伝達係ではない。選手たちの雰囲気をつかまなければならない。本当の医者はまず予防に全力を尽くすものだ。キャプテンがチームの雰囲気を感じ取らなければならないというのはそういうことだ。
8)日本の選手には気合が足りない。
ジュビロ磐田でもっとも難しいと感じたのは、若い選手たちに、絶対に勝ちたいという怒りに似た闘争心をいつも百パーセント発揮させることだった。
9)日本の選手は自分のことばかり気にしている。
○周囲の人に注意を払わなければいけない。サッカーはサポートしあうスポーツだ。
10)基礎があるから高度なプレーが生まれる
○日本チームに勝ち負けの波が激しいのは、基礎が出来ていないからだ。日本の試合はあまりにミスパスが多すぎる。
これはサッカーの話ということで、終わらすことはできない。
日本の経済、企業経営、政治、その他社会のすべての分野において、日本の劣化現象が起こっているからだ。
岩淵選手の「すべてを見直さなければいけない」という言葉は重い。

背負うということ

*[コラム]背負うということ
最近は電車に乗っていても新聞や雑誌を読んでいる人はほとんどなく、半数以上の人はスマートフォンを見ていることは、日常の風景になっています。
それと同時に、リュックサック(デイ・バック、バックパック)を背負う人が目立って増えてきました。
かくいう私も、最近はリュックサックを多用するようになりました。
手持ちのかばんは片手がふさがってしまいますが、リュックサックであれば両手が使えるので、歩きスマフォなどに適しているので、スマフォの普及とリュックサックの普及は連動しているのかと思います。
子どものころの通学時には、小学生の時は、かばんはランドセルでした。中学生の時は、どんなカバンであったか何故か記憶から消えています。高校生の時は革の手提げのスクールカバンでした。
手持ちのカバン、片方の肩にかけるショルダーバッグ、両肩にかけるリュックサック、それぞれ長所と短所があります。
今はやりのリュックサックにスマフォの姿を眺めると、なぜか薪を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎二宮尊徳)のことを思い浮かべてしまいます。時代は変わっても、荷物を背負いながら情報収集するという人間の行動は、共通しているようにも思います。
「背負う」ということ言葉。物理的に荷物やカバンや薪を背負うということだけでなく、眼に見えないものを背負うというときにも使われます。
過去を背負う、家族を背負う、責任を背負う、会社を背負うなど。
通常は「背負う」というとマイナスのイメージでとらえられると思います。できれば、物理的にも精神的にも、あまり背負うものがないほうがよいともいえますが、なかなか現実にはそうもいきません。
背負うものがあり、それを責任として踏まえたうえで生きていかなければいけないのかな、と思っています。
背負うものがなければ気軽でよいとも言えますが、それはそれで充実感が得られないのでは。人間として深みを感じさせない のではないかと思ったりもします。

ninomiyakinjirou.com

入船と出船

年末年始、多くの人は職場から離れて家で過ごすことが多くなります。また帰省して実家や親類の家を訪問することも多くなります。
日本の家屋はほとんどすべてといってよいくらい靴を脱いで家の中に上がります。その時の靴の脱ぎ方はどうされていますでしょうか。
日本の伝統的礼儀作法では、家に上がるときは、靴を出船(つま先が戸口向き)にそろえ直して上がります。入船(つま先が上り口向き)のままにしておくのはマナー違反です。
これは知人宅や親類宅、ましてやお世話になっている上司や先輩、恩師宅の訪問などにおいては必須のマナーといえます。
他人様の家を訪問するという機会は全体的に減っていますので、ふだんからこのことを意識していないと、ついうっかりということになりかねません。普段の自宅での出入りのときからこの習慣をつけておくのがよいかと思います。
この秋から冬にかけて大きな話題になった外国人技能実習生の問題ですが、以前にベトナム人20名ほどが暮らしている、ある製造業の寮を訪問したことがあります。そこは玄関で靴を脱ぐ寮でした。ついうっかり靴を入船のまま上がろうとしたところ、同行した監理団体の方から、「すみません。靴は外向きに直してから上がるようにしてください。実習生たちにもそのように指導していますので。」と指摘されてしまいました。その時は自らの無礼に恥じ入りました。
入管法改正でよくいわれました。外国人が増えると日本の文化や壊されていく、と。実は日本文化を壊しているのは日本人自身ではないでしょうか。
日本の伝統や文化を守りたいなら、まず自ら気を引き締めることが大事だと思います。
年末年始は旅館などで過ごす人、忘年会や新年会で座敷を使う人も多いと思います。宴会場や大浴場などで、ついスリッパを脱いだまま出船にせず、中に入ってしまうこともあるかと思います。こういうときも気を付けたいことです。知人・友人などと一緒の際、ついスリッパの整え方で、その人のふだんの礼儀や生活のありかたがみられてしまうのは恐ろしいことでもあります。反省、反省。

評価のモノサシ

「【腕前】お客様は技術を評価してくれない。お客様の要求を満足させているかどうかがモノサシです。」

『仕事ができる人の心得(改訂3版)』小山昇、CCCメディアハウス、2017刊

かつて職場の同僚が会社を退職して転職するとき花束を贈ったことがある。職場近くの花屋さんで花束作成を依頼した。「その方はどんな色が好みでしたか?たとえばよく締めておられたネクタイの色は?」「年齢やご家族構成は?」「その方の特徴を一言で表すと?」という2〜3のやり取りを店員のデザイナーと話した後に、花束を作ってくれた。
見事なまでの同僚の好みの花束に仕上がった。出来上がった花束を見て贈り手の自分も満足したし、贈られた同僚も喜んでくれた。
フラワーデザイナーがどういう資格を持っているかとか、技術のレベルはどうかなどは顧客にとって大きな意味を持つわけではない。重要なのは自分の求めているものを満足させてくれるだけのアウトプットを提供してくれるかどうか、ということだ。
高い技術水準を持っていることは大前提。しかし、顧客の満足を得られない商品やサービスを提供したのでは意味がない。技術はアウトプットに活かされないといけない。
このことは花屋さんに限らず、すべての仕事に通ずることだと思う。

「2020年。それは、21世紀の成人式です」橘川幸夫

「2020年。それは、21世紀の成人式です。」
1980年代、今から30〜40年ほど前。橘川幸夫氏の著作に大いに刺激を受けた。1991年に発刊された『企画書・1999年のためのコンセプトノート』JICC出版局などは記憶に残っている。その復刻版が手元に残っている。
橘川氏は1950年生まれ。今でも現役でメルマガ発信をしている。
今日のメルマガ(橘川幸夫&コンセプト・バンクNEWS )での一言。
「2020年。それは、21世紀の成人式です。」
橘川さんは1980年代に読者参加型メディアの構築に携わり、1990年代後半のインターネットの普及、今日のSNSの普及を預言されていた。
素人のネット上での活躍が本格的に始まった21世紀。2020年は、その点の動きが線になる時だと橘川さんは言う。
「2020年。それは、21世紀の成人式です。」
この一言の重みは大きい。われわれは、どう成人式を迎えるのか。
http://metakit.work/