田中角栄論

今から15年前ぐらいであっただろうか。六本木までタクシーに乗った。その個人タクシーでは、田中角栄の演説の録音テープが流されていた。運転手さんに尋ねると、「私の友人のタクシー運転手が目白の田中邸のお抱え運転手だったんですよ。彼から田中さんのことを聞き、田中ファンになりました。以来、このテープを運転中に流しています。」そのことがきっかけで、わたくしもいくつかの田中角栄に関する本を数冊読んだ。小林吉弥氏や小室直樹氏などの著作である。ロッキード事件以来、金権政治家として批判を浴びていた政治家であるが、人間的には細やかで、努力家であったということを知った。その後、ロッキード事件は米国の陰謀だ、田中さんは嵌められたという論説も多く登場した。
田中角栄氏、そして一時期は時代の寵児ともなった田中真紀子氏の存在が、ほとんど人々の記憶から遠ざかっていた時に、石原慎太郎・元東京都知事が「天才」を出版し、ベストセラーになっている。6月21日トーハン調べで週間ベストセラーの第一位である。また第8位には「田中角栄100の言葉」が入っている。田中角栄批判の急先鋒の一人であった石原氏が、田中角栄に再評価したというのが話題になっている。今朝の日経新聞の2面の広告でも今年上半期トーハン1位として大きくアピールがされている。
出版不況と言われる中で、書店では田中角栄関連本コーナーが目玉になっている。
私はこの田中角栄本ブームとは関係ない脈絡で、ある田中角栄を扱った本を読んだ。『田中角栄こそが対中売国者であると』2016年刊という、かなり扇動的なタイトルの本である。わたくしの自宅近くの大型書店の角栄本コーナーにも本書は陳列されていない。
https://amazon.co.jp/dp/4880863378/
著者は鬼塚英昭氏である。鬼塚英昭氏の著作は過去に何冊か読んでいた。「日本の本当の黒幕」「日本のいちばん醜い日」「八百長恐慌!」「原爆の秘密」などである。鬼塚英昭氏は九州大分の市井の歴史家である。
その鬼塚氏が2016年1月に急逝されたというニュースを知って、その最後の著作で絶筆となったのが上記に掲げた田中角栄に関する本であるというので、久しぶりに同氏の本を読んだ。
出版社の帯広告では次のように本書を紹介している。
「空港も地下鉄も、高速道路も、学校も病院も、みな日本の援助で造ったのに、なぜ中国は感謝しないのか?−それは、日本の黒い秘密を中国共産党は知り尽くしているから。」
「なぜ角栄は、田中軍団の維持費、年間3億円超の弁護費用を捻出できたのか。あの立花隆の積年の疑問が白日の下に」
「反骨の中国学者・佐藤慎一郎、角栄の中国利権の全貌が明らかに。人生の最後に素晴らしい男(佐藤慎一郎)に出会えた(病床での鬼塚氏の言葉)」
本書は単純なロッキード事件での田中角栄批判論や、今日ブームになっている田中角栄「ヨイショ本」とは次元の異なる日本と中国の闇の部分がえぐり出されている。
表面的なブームに踊らされずに、物事の本質を探っていくという作業は、軽薄なマスコミ人や、ブーム便乗作家にはできないことである。醜い面から目を避けようとするのではなく、データにもとづき、自らの分析力を信ずる市井の歴史家の姿から多くのことを学んだ一冊であった。