男子バレーボールの松平康隆監督

kohnoken2008-02-09

1964年の東京オリンピックで銅メダル、1968年メキシコでは銀メダル、1972年ミュンヘンで金メダルを獲得した男子バレーボール日本チームの監督であった松平康隆さんの話をラジオで聴いた。ラジオ局の編集の力もあるのだろうが、松平さんの話は無駄がなく、わかりやすい。そして教えられるところが多い。数分の話でこんなに刺激を受けるのは珍しい。思わずメモを取ってしまった。そのメモをたよりに以下まとめてみる。

●印象に残った南選手:エースアタッカーから救急車へ
ミュンヘンで金メダルを取った選手は皆、それぞれ思い出が深い。しかし、誰か一人を挙げろといわれたら南選手だ。彼が59歳という若さで他界したからではない。南は東京ではエースアタッカーだった。打ちまくる点取り屋だった。それで日本に南ありという存在を世界にアピールできた。
4年後のメキシコでは南を「オトリ」に使った。スパイクを打ってくると相手は思うが、その隙をねらってオトリ役を担ってもらい相手を混乱させた。世に言う「時間差攻撃」だ。
そしてミュンヘンでは「救急車」「消防車」だった。
準決勝のブルガリア戦では、2セット相手に取られてしまい劣勢だった。そこで南を投入した。当時のテレビのアナウンサーは、なぜここで南かと言っていた。アナウンサーはわかっていない。われわれは4年間このために準備してきたのだ。そして南が入ってから劣勢を挽回し、ついに勝利に導いた。困ったときの神頼みならぬ南頼みだ。
つまり、南は銅メダル、銀メダル、金メダルという3つのメダルを取っただけではないのだ。それぞれで役回りが違っていたのだ。12年間3つの役を演じきることができる素養を彼は持っていたのだ。こんな選手はいない。だら南が最も印象に残る選手だ。
●汗と涙と血を流せ:それがチャンピオンスポーツだ
スポーツ選手には流すものが三つある。それは汗と涙と血だ。汗だけを流すのはレクリエーションスポーツだ。ママさんバレーは汗と笑いが大事だ。涙が重要なのはどのスポーツか。それは高校野球であり高校バレーだ。学校教育としてのスポーツは涙が大事だ。つまり人間形成のために感動が重要だということだ。最近、生徒をしからない先生が多いというが、それではダメだ。負けた悔しさの涙、友情の涙、勝ったときのうれしさの涙こそ、教育スポーツの真髄だ。
しかし汗と涙だけでは足りないものがある。それはチャンピオンスポーツだ。頂点に立つには血を流すことが求められる。バレーボールでも顔から床に飛び込んで血を流す。天才といわれた選手が、さらに血を流し死ぬほどの練習をして、はじめてチャンピオンになる資格を得るのだ。
●監督が選手を選ぶ:それがリーダーシップだ
血を流すほどの厳しい練習に選手が付いてきてくれた理由は何か。
それは選手たちを監督が選んだからだ。大古も森田も南も監督が選んだ。選手が監督を選んだのではない。
監督が彼らを選んだのだ。その監督の気持ちが選手に伝わったのだ。
厳しい監督を選手が選ぶことはないと思う。
●母は目が不自由だった:それが私に与えた影響は大きい
私の母は目が見えなかった。その母に育てられたことがその後の私の人間形成に計り知れない恩恵を与えてくれた。「はっきりものを言え」そう、母から言われた。目が見えない母は、私の表情や態度は見てくれない。おもんばかることができないのだ。頭が痛い、と思ったら普通は表情で知らせるのだが、「頭が痛い」とはっきり言わなければ、わかってくれない。何でも言葉に出さないければならない。言葉で伝達するクセを母から教えられた。そして、母は気が短かった。目が見えないから致し方ないのだろう。長い話は許されない。最初に結論を言う。そのあとでビコーズと続く。こういう話し方を母から求められた。
バレーボールにかかわることで世界の人と戦い、そして交流をした。世界の人と交わるときに母の教えがどんなに役立ったことか。皆から「松平の話はわかりやすい」とほめられた。
母からは語尾をはっきり言えといわれた。母は鹿児島の女である。男は男、女は女、それぞれ役割分担がある、という考えを持っている。男は語尾をはっきりしろ、ごまかすな、というのが母の考えだ。
この母の教えが監督と選手のコミュニケーションにどんなに役立ったことか。
●ブランデージから言われたこと:私は日本が大好きだ
1964年の東京オリンピックのときのオリンピック会長のブランデージから個人的に言われたことがある。「私は日本が大好きだ。日本に元気になってもらいたいと思って東京開催を決めた。日本に一つでも金メダルを取ってほしい。だから柔道とバレーボールを正式種目として日本にプレゼントしたんだ。」

世界の政治経済の中で日本の地位が低下しつつある今日、松平さんは日本は今でも世界のトップを走る力は持っている、という。政治経済の世界でもメダル獲得といきたいものである。
(画像)ミュンヘン五輪(1972年)での金メダル表彰