『日記力「日記」を書く生活のすすめ』

ピンクレディー

僕は1970年代から80年代にものすごい数の歌を書いた。だから、僕が引退してしまったら歌謡界は駄目になると、ひそかに思っていたんです。(笑)・・・ところが、そのとき世の中は、
阿久悠だったら、一年にヒット曲百曲は書けるから、あの人はすごい、あの人に頼みにいこう」
という発想から、
「百曲書ける人はもう見つからないかもしれないけれど、一曲書ける人を百人見つけることはできる、それでいいじゃないか」
という方向に変わっていきました。

この僕とは、作詞家の阿久悠さんのことである。そして阿久悠さんが一線から退いたことによって、本当に歌謡曲は駄目になってしまったように思う。インターネット時代のビジネスやメディアのあり方を考える新たなコンセプトとして「ロングテール論」というのが今年の春頃にネット上で議論が繰り広げられた。日記力―『日記』を書く生活のすすめ (講談社プラスアルファ新書)
このロングテール論については、どこかでまた論じてみたいと思うが、今まで無視されてきた、いわば「その他大勢」に属する意見や作品や人間たちが、インターネットが普及することで陽の目を見るようになってきたというのがロングテール論のひとつの考え方である。
ブログというのはロングテールの典型だ。各地に散らばる透明な知性たちが徐々に大きなうねりとなってマスの力に迫ろうとしている。
しかしだ。
だからといって、ロングテールは、どこまでいってもロングテール、その他大勢はどこまでいってもその他大勢、もちろんこの「ウイズダム・ダイアリー」なども海岸の砂粒のような小さな小さなナノテクのような存在でしかない。
やはり阿久悠さんのような巨匠も必要だと思う。良いコンテンツで、圧倒的多くの人を魅了する作家、一時の話題になって売れたけれども、一発屋で消えてしまうのではなく、阿久さんのように永年にわたって驚くほどのヒットを続けていくような巨人の存在もいてほしいと思う。
阿久さんは、「おびただしい数」という変な表現が当たってしまうほどのヒット曲を世に出してきた。その衝撃のひとつに「ピンクレディー」がある。ペッパー警部、UFO、サウスポーなど一連の作品は、今思うとクリエイティブの極到であったといってよい。
そんな作詞界のエジソンともいうべき稀有のヒットメーカーで一人勝ちだった阿久さんが、一方で次のように警鐘をならす。

自分の価値観があやふやだから、情報に操作されやすく、その結果が、「一人勝ち」に拍車をかけているともいえるのではないでしょうか。

日本人のブランド物志向、これはいろいろな面がある。きわめて品質の良いものを求めようとする志向と、有名なものを身につけて見せびらかしたいという気質、長いものには巻かれろという志向などだ。日本人の良い面でもあり悪い面でもある。
一人勝ちしていた阿久さんが活躍をしていた時代を懐かしみたいという気持ちと、その他大勢でも表現の場が与えられる時代を喜びたいという気持ちが、いま私の心の中で入り混じっている。もしかしたら、この二つは対立するものではなく、並立するのがベストなのかもしれないと思えてきた。