駅・STATION

録画をしてあった映画「駅・STATION」を観た。1981年製作の高倉健主演映画である。
駅、雪、北海道、刑事、拳銃、居酒屋、港町、冬、演歌、薄幸な女…
これはもう高倉健さんのショーウインドウのような作品である。

駅 STATION【Blu-ray】

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倍賞千恵子扮する女将のいる居酒屋で
たったひとりの客、高倉健と向かい合う。
そこでテレビ画面から流れる八代亜紀「舟唄」。背景は、これでもかこれでもかと郷愁を誘う。
しかし、高倉健は駅や雪や演歌といった背景を超越して、存在する。
すべてを飲み込んでいる。
圧倒的な存在感である。

舟唄の作詞を行った阿久悠はいう。

謡曲が活動するための餌はというと、時代である。
謡曲は時代を食って色づき、育つ。
時代は美味しかった。特に1970年代は極上の味だった。

日本人の酒の飲み方はずいぶんと変わってしまって、もう
”しみじみ飲めば しみじみと
 思い出だけが行き過ぎる…”
ことも、
”ほろほろ飲めば ほろほろと
 心がすすり泣いている…
こともなさそうである。
(『歌謡曲の時代(歌もよう、人もよう)』阿久悠、新潮社、2004年)

歌謡曲の時代

歌謡曲の時代


阿久さんは、別の著書でいう。

人間は面白いだけでも、軽妙なだけでもなく、寡黙で近寄り難くても、
心に響く言葉を持ち、独特の美意識を備えた人もいるのである。
その人は本当に嬉しくないと笑わないし、サルのように手も打たないが、
寄るとあたたかいし、語ると深いのである。
(『清らかな厭世(言葉を失くした日本人へ)』阿久悠、新潮社、2007年)

清らかな厭世―言葉を失くした日本人へ

清らかな厭世―言葉を失くした日本人へ

阿久さんが生きていたら、いま、高倉健の死をどのように表現するのであろうか。