レッドソックス上原投手と上達論

今週は野球週間であったように思う。打撃の神様と称せられた川上哲治さんが亡くなり、MLBでは上原投手の活躍でボストンレッドソックスがワールドチャンピオンとなり、今日は東北楽天が田中投手で日本シリーズ制覇を狙う。
昨年のアリーグ東地区最下位から一気にワールドシリーズ制覇に至ったのにはいくつかの要因があるだろう。またメジャー挑戦で今まで成績を残していなかった上原投手が、今季、それもリーグ途中から急激に力を発揮し、まさに優勝の立役者に駆け上っていったのにも原因がある。新聞・テレビメディアは、上原について「雑草魂」をキーワードに解釈を試みているが、表面的な解釈に終わっているように思う。
先日、このブログで取り上げた「武道とは何か」の著者である南郷継正氏は、1972年に発刊された「武道の理論」の中で、上達論に関連して日本のプロ野球について、語っている。

武道の理論―科学的武道論への招待 (三一新書 (764))

武道の理論―科学的武道論への招待 (三一新書 (764))

上達法にとって、どうしたら上達することができるかとともに、どうしたら上達できないかが考慮されねばならないのである。いままでは、どうしたら下手になるかは、ほとんどまともに論じられていなかったようである。「努力すればするほど下手になる」との話を始めると、論理のわからない人たちは、とても怪訝な顔をしたものであった。矛盾と聞けば悪しきものと響くように教育されてきた人たちにとっては、努力と聞けば向上と結びつくようになっているのであろう。
この好例がプロ野球における「別所式野球」であった。「三原野球」と「別所式野球」の違いは、三原が、この「努力する程に下手になる」場合があることを知っているのに対して、別所がそれを知らないことの違いでもある。「どうして別所さんみたいに鍛えないのですか」との新聞記者の質問に答えて「疲れたのでは技を憶えることはできません」と答えていたのが印象的であった。
天才別所の悲劇といったらよいであろうか、なまじっか彼が体力的にも才能的にも抜きん出ていたがために、自らに課した練習法を最上とばかりに信じ込んでしまったがための失敗であったのである。いわゆる上達法なるものは、秀才タイプの人からは生まれにくいものである。失敗の繰り返しのなかからこそ生れ出るものであり、それこそ「失敗は成功のもと」であり、それを論理化できる能力さえあれば、むしろ鈍才タイプの方がまともな上達を遂げるものである。

レッドソックス楽天、上原、田中それぞれ失敗を繰り返してきた。その失敗を論理化する能力をこれらチームや選手たちは有していたのである
南郷氏は言う。「馬鹿の一つ憶え」が必要な時もあるし、害を及ぼす時もある。技を見抜き論理を組み立てられる選手と指導者の手腕が問われてくる。