武道とは何か

フェイスブックの「友達」である前の職場の仲間が「女子の空手」の動画を紹介してくれている。
http://www.youtube.com/watch?v=KTpM0d6lr4A&feature=youtu.be
2012年11月フランス・パリで開かれた空手・形の部で優勝し世界一に輝いた宇佐美里香さんの「形」である。見事なまでに歴史と伝統に裏打ちされた空手の「形」を表現してくれている。それも無骨な男子ではなく、可憐な女子が。
ここ数回のこのブログのエントリーで、家具職人や江戸の商人の育成について語ってきた。この空手の映像を見て、今から30年前の学生時代に、先輩から「ぜひこの本を読んでみたら」と薦められた『武道とは何か』南郷継正著(1977年刊)を書架の片隅から引っ張り出してみた。30年前に読んだ時の感想が、アンダーラインに記されていた。南郷氏は空手を主軸として武道の構造や教育論を展開した武道家である。

武道とは何か―武道綱要

武道とは何か―武道綱要

そもそも武道はいわゆる人間技を否定して武技を創出することから出発する。すなわち、自然成長的な人間技ではなく、新たに創出した武技によってその目的を達成しようとするのである。これがそもそも喧嘩剣(拳)法と本質的に異なるところである。武技は、…人間的な動き、つまり自然成長的に育った運動ではなく、それに優る運動形態をまずもって創造しなければならない。…人間技に優る形態は数百年にもわたる名人・達人の血と汗の結晶としてわれわれの眼前にある。われわれはそれを修行を重ねることによって自分のものとしなければならないのである。

ほんらいならば弟子たちは、師と同じような過程を師と同じように努力しながら、その師が辿った険阻な道を歩かなければならないものを、師の残した結果(技)だけを学んでしまうの愚を犯してしまうのである。…一芸に達するということは、たとえば芭蕉のごとくに執念を燃やして、形は同じ<五・七・五>であっても芭蕉が詠んだがごとくのレベルの己が句を創作することであり、数学でいえば独力で公式を導き出してくることである。…となれば、弟子たちがなさねばならぬことは、師の到達した<頂き>を感嘆することではなくして、師の道を己が能力で再度探究し、師のごとく、<動けば技になる>ことが先決であろう。しかし、問題はそこからである。なぜならばそれだけでは師の<二番煎じ>でしかない。弟子である彼は己が辿った過程を、それこそ<論理化>して、師の欠点を、不足分を補うことである。これこそが弟子の務めであり、【弟子の本懐】というものであろう。

この短い一節の中に、武道にとどまらす、すべての学ぶもの、すべての職業の基本が結晶していると思う。歴史を学び、しかしそれにとどまらずに新たな価値を付加していく。イノベーションの真髄、生命の存続・成長の真髄が読み取れる。
30年間、古本屋に売られることもなくわが書棚の片隅で埋もれ生き延びてきたて一冊の本から教えられることが多かった。
最後に、南郷氏は戦う相手との「命がけ」こそが武道の本質であると語る。戦う相手があってこその武道である。形の美しさだけでなく、戦うことの美しさを表現した画像は下記をご参照ください。
http://www.youtube.com/watch?v=7HAvpHAZsGQ
http://www.youtube.com/watch?v=fTWciJZw6rI