池田武邦さんの「シイの木」の思い出

kohnoken2008-09-09

NHKのBSハイビジョン「日本の風景を変えた男たち:廃墟から超高層ビル、そして…」の再放送を見た。http://www.amazone.co.jp/works/hvsp.html
太平洋戦争における海軍軽巡洋艦「矢矧」沈没での奇跡の生還、戦後高度成長期のシンボルでもある霞が関ビル、新宿三井ビルの設計、リゾートブームの中での長崎ハウステンボスのプロデュース、そして21世紀における地方都市の文化の再発見と茅葺の自宅。
建築家・池田武邦さんの生涯を通して、日本の景観の変化をとらえた良い番組だった。

藤沢で過ごした小学生の時、学校の遠足で日蓮宗の本山で有名な龍口寺に出かけた。その時にみんなでひろったドングリを学校に持ち帰り、校庭に植えた。小学校の卒業の時、子供の背ほどの小さな苗木に育ち、先生が卒業生一人一人に、みんなの自宅に植えなさいと、このシイの木を一本づつ渡してくれた。20歳で太平洋戦争に出兵し、奇跡的に生還すると、自宅の庭でこのシイの木が迎えてくれた。あの戦争から60年、いま、このシイの木は70余年の年を経て立派な大木になった。84歳になって、このシイの木は10歳ほど年上の自分より、はるかに風格がある。70数年の時を経て、あらためて小学校の先生の偉大さを知った。

超高層ビル設計のパイオニアとして、日本を代表する設計会社である日本設計社長として時代の最先端を走っていた、池田さん。雪の日の西新宿の三井ビルで近代技術の粋を集めたビルの限界をさとり、自然との調和の大事さにめざめる。若くして亡くなられた愛娘の仏壇や神棚の落ち着く場所のない自らが設計した自宅の空虚さに、設計者として呆然と立ち尽くす。以後、日本の長年の歴史に裏付けられた街づくり、家作りの再発見の旅に出て、いまは長崎の岬の先の茅葺の家に落ち着いた。
池田さんのすべての原点は戦前の幼少期の藤沢の風景であり、そして海軍の巡洋艦での体験であるという。
池田武邦という建築家の一生から、戦中戦後の日本の光と影が見事に描き出されていた。この番組を制作したプロデユーサーの力量はたいしたものだ、と思った。
(画像)霞が関ビル