東京とは何かについて考える〜檜原都民の森と玉堂美術館を訪ねて

2020年に東京オリンピックが開かれるが、あらためて東京とは何か考えた。そのきっかけは奥多摩を訪ねたことによる。
元・東京農業大学学長で造園学の進士五十八さん著の『日本の庭園〜造景の技とこころ』(中公新書、2005年)を読み返いしていて、「玉堂美術館」の庭園をぜひ、見てみたいと思ったことによる。
同書は、日本庭園の入門書ともいうべきものであるが、なぜか、進士先生の玉堂美術館の庭園についての記述の文学的表現に心奪われた。

青梅線御嶽駅を下車すると、関東の霊山、御嶽山が仰瞰される。御嶽神社が鎮座する。駅前の橋を渡って渓谷に降りると、築地塀をめぐらした玉堂美術館がある。敷地の真前には多摩川の支流、御嶽渓谷、大小の岩々がまるで自然の石組みのようである。岩間を流れる清冽な水が目にしみる。渓谷の斜面を背に、清流を前面にモダニズムを感じさせる数寄屋風の美術館が静に建つ。
庭園は実に簡素な枯山水形式である。深い庇、禅院のような磚による舗装テラスと枯山水の砂敷庭園は連続して、ひとまとまりの静寂の境地を醸成している。
低い漆喰塗の築地は、庭と外部を截然と区切るが、庭前の渓谷の気配まで遮るものではない。むしろ築地が明快な輪郭線を示すため、その内外のコントラスト、耳を澄ますと、渓流の瀬音が聴こえるのではないかと、思えるほどの緊張感を与えてくれる。

玉堂美術館とは、日本画の巨匠である川合玉堂昭和32年に没するまでの最期を過ごした青梅市御岳の地に建つ美術館である。そしてその庭園は世界的造園家である中島健によるものである。
奥多摩は、あまりなじみがなかった。しかし、圏央道東名高速の海老名から八王子を通って関越道までつながり、横浜の自宅から行きやすくなった。
この7月の暑い日の早朝の夜明け頃に車で出発して、あきる野インターチェンジで降りて、檜原街道を登って行った。途中、セブンイレブンでトイレ休憩をしたが、夏休みのキャンプ用なのか、セブンイレブン店舗でキャンプ用の薪を山積販売しているのには驚いた。
秋川渓谷沿いの道を登って1時間ほど、檜原都民の森に着く。この森は人工林の多い奥多摩にあって、自然がよく残されブナ林が見られる地域である。ハイキングコースが整備されていて、気軽に自然に触れることができる。コースの中に「三頭大滝(みとう・おおたき)」がある。落差30メートルの滝である。コースの中にある、展望台からは迫力ある奥多摩の緑を眺望することができる。
都民の森を後にして奥多摩湖に向かう。ここは昭和32年に完成した東京都民の水がめとして小河内ダム建設にともなって出来た湖である。そこを青梅方面に青梅線と並行した道路を下っていくと、御岳駅がある。その近くに目指す玉堂美術館があった。
進士先生の「日本の庭園」の記述そのものの、渓流にたたずむ静かな美術館であった。また、その枯山水の庭園が周囲の環境に溶け込んでいた。
美術館を後にして、青梅市内を通り圏央道に出て帰路に着く。青梅駅周辺は、最近昭和ノスタルジックの映画の看板が街中に飾られ、独特の雰囲気を醸し出している。
さて、東京についてである。
地方に住んでいる人だけでなく、首都圏に住んでいる人でも「東京」からイメージされるのは、大都会で高層ビルが林立し、多くの人が行きかう都心部の風景であろう。
東京駅、銀座、日本橋、浅草、秋葉原東京スカイツリー、皇居、丸の内、大手町、霞が関、永田町、渋谷、新宿、六本木、原宿、青山・・・・、東京からイメージされる街々は、じつはごく一部の中心地域に限られて入る。
しかし、八王子のはるか先の奥多摩も東京である。檜原村も青梅も東京であるが、それは都心部の賑やかで喧噪にあふれた場所ではない。自然と緑にあふれ、清流と野鳥の生息する桃源郷のような場所である。
これも「東京」である。
2020年のオリンピックを前にして、まずは東京都民や周辺の近隣諸県に住む人々が、この奥多摩を中心とした東京の姿を体験し、認識することが大事であると思う。
水がめとしての奥多摩湖、豊かな緑があって、大都市東京が生かされていることを実感することが大事である。そのことを踏まえて海外からのゲストに東京の魅力を語っていきたい。
そんなことを考えた夏の小さな旅であった。
●三頭大滝

●檜原都民の森からの眺望

●玉堂美術館庭園

●美術館前の御岳渓谷

川合玉堂「峰の夕」