慎思録 貝原益軒

毎日配達される新聞は、書籍や雑誌の広告で埋まっている。肝心の新聞の記事より先に、下の方に掲載されている書籍広告に思わず目が行ってしまう。社会の木鐸とはいえ、新聞も経営のために広告収入に頼る事情はよくわかるが、広告に負けない質の高い記事を書いてほしいものだ。
書店に行けば、新刊書の山。次から次へと新刊書が増産される。かつて文庫や新書は安価な教養書が多かったが、最近は安易な文庫や新書が幅を利かし、かつ売れている。
その中で、教養の香りを残す文庫に講談社学術文庫がある。さまざまな古典を提供してくれている。
時代が何百年と変わっても賢人の世の中を見る目は変わらないということをいつも感じる。
たとえばギリシャ時代の哲人や、江戸時代の賢人が言っていることが、まるで現代をとらえているように思えることが多々あるのである。
貝原益軒の『慎思録』の一節に、次のような箴言がある。原文とともに同書の伊藤友信氏の現代語訳を載せる。

慎思録―現代語訳 (講談社学術文庫)

慎思録―現代語訳 (講談社学術文庫)

○原文
今世の薄俗、古昔の好書を捨てて取らず。澆季・浅末・鄙里の文字を以て、耽り看ることを為す。書林の鏤刻する所の如きも、また俗情の趣向する所に�佩う。その刊布する所を観て、世情の変態時をおうて卑薄なることを知るべきにみ。(巻第六-36)
○現代語訳
「昨今世間は古い好書を捨ててとらない」
今の世の中は風俗軽薄で、昔の立派な書物を捨てて読まない。澆季(ぎょうき:人情の軽薄となった末世)、浅末(せんまつ:浅薄で末に向かう)、鄙里(ひり:風俗、言葉などがいやしい)の文学を耽読している有様である。本屋で出版する書物も、世間の求めるものにしたがって俗悪なものが多い。だから出版される書物を見れば、世の中の人情風俗の変化が日々いやしくなっていくことをよくしることができるのである。

いつの世も風俗軽薄で、その中から重厚なるものが時代の風雪に耐えて残っていく。