[書評]ナイチンゲールと貝原益軒

3か月ほど前、右足首から甲にかけて痛みを感じ、少々歩行に困難を生じて苦しんだ。すでに日常生活に支障のないほど回復しているが、まだ若干の違和感が残っている。人は、病気やケガをしたとき、普段感じることのないさまざまなことの知るものである。たとえばわたくしのように脚に来たような場合は、小さな段差や、道のデコボコに注意が行くし、駅のエレベーターやエスカレーターのありがたみを知り、道行く人で杖をついて歩く人を見かければ、その人の心の中まで推し量れるようになる。しかし、幸か不幸か、自らの痛みが治まってしまうと、そうした風景に目が行くことがなく、見過ごす生活に戻ってしまう。
書店を覗いたり、新聞の広告やテレビの番組を見ると、健康関連の書籍、商品広告があふれかえっている。「○○健康法」「健康食品の○○」「○○には○○クリニック」・・・。
わたくしも、今まで、ちょっと体がおかしくなると、何冊もの健康法に関する本を読んできたし、雑誌の記事などを切り抜いたこともある。しかし最近、大幅な書籍の整理整頓を行って、結局手元に残り座右の書になったのが、ナイチンゲール『看護覚え書』と貝原益軒『養生訓』の2冊である。
ナイチンゲール(1820〜1910)。誰もが偉人の一人として、その名を知っている近代看護教育の母ともいわれている人である。しかし、意外に、その著作に触れた人は少ないのではないだろうか。
『看護覚え書』(現代社、1968年)の巻頭でナイチンゲールは次のように語る。
「この覚え書きは、看護の考え方の法則を述べて看護師が自分で看護を学べるようにしたものではけっしてないし、ましてや看護師に看護を教えるための手引書でもない。これは他人(ひと)の健康について直接責任を負っている女性たちに、考え方のヒントを与えたいという、ただそれだけの目的のために書かれたものである。英国では女性の誰もが、あるいは少なくともほとんどすべての女性が、一生のうちに何回かは、子供とか病人とか、とにかく誰かの健康上の責任を負うことになる。言い換えれば、女性は誰もが看護師なのである。日々の健康上の知識や看護の知識は、つまり病気にかからないような、あるいは病気から回復できるような状態にからだを整えるための知識は、もっと重視されてよい。こうした知識は誰もが身につけておくべきものであって、それは専門家のみが身につける医学知識とははっきりいって区別されるべきものである。」
本書の目次だけ掲げておく。
1.換気と保温
2.住居と健康
3.小管理
4.物音
5.変化
6.食事
7.食物の選択
8.ベッドと寝具類
9.陽光
10.部屋と壁の清潔
11.からだの清潔
12.おせっかいな励ましと忠告
13.病人の観察
14.おわりに
15.補章
16.赤ん坊の世話
1860年、日本では言えば江戸末期に書かれた著作である。そこには具体的な実務知識がぎっちりと詰まっている。「換気」からスタートすることには新鮮な驚きを感じた。
わたくしを含めて現代の人々は、病気は医師が直してくれるものと他人任せにする傾向が強いのではないか。一番大事な自らの健康を維持し、病気回復に努力するために、健康に関する知識を自ら学ぶ姿勢が今、求められているように思う。
貝原益軒については、また別の機会に触れたいと思う。