学問のすすめ 福沢諭吉

福沢諭吉の『学問のすすめ』は、誰でもが知っている本でありながら、なかなか読む機会を持った人は少ないだろう。数年前に岬龍一郎氏のわかりやすい現代語訳と解説がついてPHPから出版されている。岬氏は「百冊の人生書より一冊の『学問のすすめ』」と解説をされているが、そのとおりだと思う。もともとは、福沢諭吉の故郷である大分県の中津に中学校が出来るというので、その子供たちに「なぜ勉強をしなければならないのか」を説いたものである。その初編は明治5年に発刊されている。学問のすすめ―自分の道を自分で切りひらくために
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭の文章が有名であるが、福沢は人の平等を説いたのではない。生まれたときは人は平等であるが、賢い人と愚かな人に分かれていく。それは学問をしたかどうかによって決まるという。ここでいう学問とは、実用の学問のことであり、学歴などというものとは異なる。人生いかに生きるかも学問、帳簿の付け方も学問、時代の趨勢を察するのも学問であり、和漢洋才の書物を読むことだけが学問ではないと福沢は言う。学問の本当の目的は、人間として世の中に役立つという目的を達成することだ。夫婦や親子の結びつけだけに満足せず、社会に役立つ遺産を残すこと大事だとという。
また、福沢はいう。個人の独立があってこそ、国家の独立がある、と。その国の国民が独立しようという気力に欠けるときは、独立国家としての権利を世界に広めることなどできるものではない。日本は本当に独立国家なのだろうか。誰もが日本人の独立心について疑いを持っている、と福沢は述べている。明治の初頭の話だ。そのときから、100年以上がたった現代、はたして日本及び日本人は、本当に独立をしているのであろうか。当たり前ではないかと、いえないところが寂しい。
国民と国家の関係、政府と民間の役割、国家と法律、人間の権利、自分自身の収支決算書の点検、物事を疑うことの大事さ、など時代を超えて現代においても耳の痛くなる主張がわかりやすく述べられていく。官僚や政治家の腐敗、恨みにもとづく残忍な犯罪の数々、付和雷同する国民、国際的に主張できない日本など、最近のニュースを見るにつけ、この百年で日本の進歩があったのかどうか不安に襲われる。数々の今の世相の事件を解く鍵が、この明治の初頭の一冊の本の中に詰まっていることに、あらためて驚かされる。
教育の重要性に気づき、慶応義塾を作り上げた福沢諭吉。国の繁栄と平和は、若き人々の教育が基本であることをあらためて認識させられた。子供や若者だけではなく、中高年以上の人々も、あらためて『学問のすすめ』を読み、行動に移すことが大事だと思う。今からでも遅くはない。