勅使河原蒼風

本書は、次のような文章から始まる。

「花」は壊れ物である。消えてなくなるものである。場所を占めてそこに置かれていても、それはその時かぎりの時間を生きている。回顧することはできても、取り戻すことはできない。その一時限りのもの、その「時」を生きる者の上を、近代の日本が踊るような華やぎをもって走った。華道草月流の創始者勅使河原蒼風について書こうと思うただひとつの理由はそれである。そこにあらわれる美しい無数の「花」のイメージが「近代日本」を生きた人間達の、持続する意思の姿を示しているからである。

勅使河原蒼風

勅使河原蒼風

勅使河原蒼風』は1992年に発刊されたもので、著者の土屋恵一郎さんは、出版当時明治大学助教授で法哲学専攻で、ベンサムを中心とした18世紀イギリス人文学の研究者である。華道家ではない。しかし、蒼風と花と社会を見事なまでの鋭さで分析・解明をしていく。

勅使河原蒼風がその人生でなしとげた事柄は、近代の日本人の行動として破天荒なものである。草月流という華道の一大組織を作りあげたということだけで破天荒なのではない。そのことだけいうならば、蒼風は日本の伝統芸術である「いけ花」の革命児であるにとどまる。蒼風はその先に行ってしまった。蒼風は、花をいけるという行為をとおして、近代の日本人の生活に深くかかわったのである。そして、そのかかわりのなかで、生活の空間と環境に対する日本人の態度を変えてしまったのだ。

今、日本は「クール・ジャパン」を経済活性化のキャッチフレーズに使っている。しかし、その活動内容は、表面的なものにとどまっているように思えてしかたない。
土屋さんは語る。

文化を社会の基盤に据えようとしている現代の日本にとって、勅使河原蒼風こそ、そうした発想の先駆者であって、人々を生活の演出家へと誘った誘惑者であった。

本書にはイノベーターとしての蒼風の活動が数多く語られている。その中の一つがラジオというマスメディアの活用である。蒼風は昭和四年の11月から12月にかけて、「誰にでもできる投入花と盛花」と題して7回連続のラジオ放送を行っている。まだ若干28歳の蒼風である。そこで口癖のような開講の言葉は、「簡単なことですよ」、「なにもむずかしくありません」といったことである。
昭和の初期、もちろんテレビ放送は始まっていない。何よりもビジュアルを必要とする華道においてラジオという音声メディアで華道を語ったところに、蒼風の偉大さがある。

蒼風が登場するまで、「華道」は女性の修養のためであった。…(蒼風は)無数の花の形象を描いていく「イメージの修行」へとはっきりと転換したのである。蒼風の言葉を聞いて、人々は「図案」を作り、イメージの修行へのひらかれた精神の構えをしめすことになる。

その他、
「廃物を利用した応用花器とブリコラージュ」
「床の間の花からの脱却」
「いちばんいけないのは「自分を模倣することである」」
「「家元」とは、危険を犯して、まっさきにイメージの狩猟に出かけていく者」
などのキーワードが、かつて読んだ時にアンダーラインが引かれている。アーチストだけでなく、クリエイティブな仕事を行っていきたいと考える方々にとって再読、再々読に値する本であると思う。