礼儀覚え書

「稽古」とは「むかしを考える」ということである。古くから伝えられた「型」は生きている、生き続けてきた。今日の「型」になるまでに、余分なことは削られ、必要なことはつけ加えられてきた。つまり、「定型」というのはじつはないのであって、「型」はつねに生成発展している、いわば歴史上の生き物なのです。だから「型」につきあってみないと、その生命力がわからない。それなのに「型」をドレミファソラシドぐらいに理解してあとは勝手にやる、そんなお弟子さんがふえてきたという。

礼儀覚え書

礼儀覚え書

『礼儀覚え書』は著者である草柳大蔵氏が、みずから恥をかきながら覚えた「作法」についてまとめられたものである。
「お客弟子」と名付けられた項目で、稽古と型について語られている。型を学ぶとは型に至ったところまでも含めて学ぶことが必要だということだ。いつの時代も真の意味での稽古をすることは難しい。型だけを真似るのはまだよいほうで、型すら学ばず、未熟なままでふるまってしまうのだけは避けていきたいところだ。
なお、「お客弟子」とは、「一口でいえば、弟子のくせに、お客づらをしていること」という意味だとのこと。「教わる」よりも「月謝を払っている」という意識の方が強い人のことだそうである。