清里の清泉寮でポール・ラッシュの思想と行動を学ぶ

kohnoken2009-04-29

多くの人は平凡な人生を歩んでいくのであるが、なかには全く予期せぬ波乱の人生を歩んで行く人もいる。
サントリーの白州醸造所を後にして、清里に向かった。清里と言えば清泉寮というくらい、ここのソフトクリームは観光の定番といえる。しかし、どれだけの人が清泉寮を築き上げた清里の父と呼ばれるポール・ラッシュのことを知っているのであろうか。
共同通信社社長の福島慎太郎氏は1970年にラッシュを称して「ラッシュ先生は目の青い二宮金次郎であった」と語っている。
ポールラッシュの人となりを知る格好のテキストは2003年に清里観光振興会から発刊された『ポールラッシュ100の言葉』である。
関東大震災の復興支援の米国人宣教師として偶然に日本を訪れたラッシュは、太平洋戦争の渦の中に巻き込まれ、戦後はGHQ将校として、また退役後は八ヶ岳の麓の地域開発に尽力し、KEEP(Kiyosato Education Experiment Project)を通じて、さまざまな偉大な功績を残して1979年に永眠した。

食糧、保健、信仰、希望…
KEEPが目指すこの4つは、今日、
武器と同じくらい重要であり、
最終的には、武器より長持ちする(138頁)

ポールは決して聖人君主ではなかった。また最初から明確な使命感を持って困難に立ち向かった訳ではなかった。偶然から必然へと彼の人生は変わっていったのである。なんとも不思議な魅力のある人物である。戦後の情報将校としての活動などから、表には出せない数々の思いを胸にしまいつつ生涯を閉じたものと思われる。
彼が大切な局面で、常に投げかけた言葉がある。それは、

Do your best and it must be first class.
(最善を尽くせ、そして一流であれ)

である。
清泉寮に出かけられたら、名物のソフトクリームを食べた後に、ぜひ奥まった場所にある「ポール・ラッシュ記念センター」を覗いてみてほしい。彼の活動の中には、農業や観光を通じて地域を開発し、人や組織を動かし、国や世界をも動かす力を発揮するためのヒントが多く詰まっているような気がする。
(画像)清泉寮から八ヶ岳を望む