贅沢とは

kohnoken2009-03-21

贅沢はむずかしい。
求めてするそれがさほどの印象を残さないことはあまりにしばしばであり、求めぬうちに転がり込んできたものが、二度と体験できぬ贅沢であったりする。

先日も紹介した、かつて世界を旅する紀行ライターであった勝谷誠彦さんの著書『いつか旅するひとへ』の「琥珀色の陶酔(山梨)」の一節は、この文章から始まる。
勝谷さんが山梨にあるのサントリーウイスキー「白洲」の醸造所を訪ねた時の紀行文である。
勝谷さんはサントリーの技術長からこんな話を聞く。「不思議なことがあります。醸造のある時期に、人工的には加えていない乳酸菌が発生する。どこからかやって来るわけです。それが出ると、酒の出来がよくなるのです。」それに応えて、勝谷さんは語る。

私はそっと想像する。とある夜明け、「白州」の森から小人のような菌がやってきて、ウイスキーに魔法をかけるのを。まぎれもなく「白州」を作り出しているのは、水、空気、さらには不思議な菌まで含むこの地の風土そのものなのであった。

勝谷さんはサントリーウイスキー「白州」を作る南アルプスの源流に立ち入り、その渓(たに)の水で水割りのウイスキーを飲む。
このエッセイの最後は、次の文章で結ばれる。

遠く離れていて何十年ぶりに再開した親族の手と手がぴったり合うように、水とウイスキーは過去の記憶を語り合っているのである。
瀬音が酔いを深くさせる。琥珀の陶酔の中で、ふと、私は考えたのであった。
ところで、これは求めた末の贅沢であろうか。それとも、やはり予期せぬ贅沢なのであろうか。
「なにものか」が答えたような気がしたのは、あるいはただの瀬音だったのかもしれない。
「贅沢とは、求めて求めて、その上に求めてもいなかったものが加わった時に、本当になるのだよ」
もし、本当に囁くものがいたのだとすれば、贅沢なウイスキーを日々求め続ける白州醸造所の求道者たちに、森からの贈り物をそっと手渡した、あの「なにものか」
であったにちがいない。

勝谷さんが自画自賛するだけあって、『いつか旅するひとへ』は、短い紀行の文章の中から、珠玉ともいうべきフレーズと、多くのヒントを与えてくれる。みずみずしい感性が胸に響いてくる。