現場力 : 高橋亀吉と大野耐一

高橋亀吉
 東洋経済新報社が発行している『統計月報』で、2000年に「20世紀の日本を代表するエコノミスト」をアンケート調査したとき、高橋亀吉は下村治、石橋湛山ら名だたるエコノミストを押さえて、堂々の1位に輝いた
・1891年 明治24年 山口県徳山村の船大工の長男として出生
・1977年 昭和52年(86歳) 死去

1975年に現役大学生に寄せたメッセージが残っている。

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「現代経済学を学んでいる学生諸君に何か一言をという編集者のご依頼に答えて、私の長い経験からにじみ出た2、3の点を誌して責めをふさぎたい。
 ◎第一は、経済理論は当時の経済基盤の上に築かれたものである。したがって、その経済基盤が変化すれば、経済理論も変化するものであって、永久不変の原理ではない。
 ◎第二は、経済の純理論の少なからぬものは、世界経済が一体的に運営されていることを大前提にしている。しかし、実際は各国は国民経済的運営をしている。
 ◎第三は、経済の働き方、この面における経済理論は、国によって少なからず違う。」
 経済動向を考察する場合、大切なことは、外に現れた現象は同一であっても、その性格なり、意味なりは必ずしも同一ではない。ところが、最近のコンピュータ的経済観察は、現象が同じならば、これをすべて同一意味のものとみなす、という重大な誤りに陥りがちなのである。
 たとえば、物価騰貴という問題がある。世界恐慌以降の40年間においては(戦時経済を除き)、物価騰貴とは需要が急激に増えたことによってもたらされた現象とみて良かった。それは当然、景気がいいということを、つまりは企業は繁栄して利潤が増加するとされてきた。
 ところが、昭和48年以降の物価騰貴はどうか。従来のように需要が増えたから起こったものではない。原産品の供給が世界的に減った(一時的でなく少なくとも中期的、構造的に)から起こったのである。
 既存の理論をいかに知っていても役に立たない。かえって理論を知っていればいるだけ、昔のパターンにとらわれがちになるから誤診しやすいのである。
 『高橋亀吉・私の実践経済学』東洋経済新報社(1976年刊)の「第1講」より。
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 大正10年、私は、若年ではじめて海外視察の度に発ち、アメリカからイギリスに行った。当時、経済の分野ではイギリスが最も進んでいると考えられており、イギリスの経済理論が世界を風靡していたころである。
 アメリカで、ある日あるデパートに行ってみた。すると、一つの階全体が台所用品や家具でいっぱいに陳列されていた。ところが、イギリスに渡ってロンドンのデパートに行ってみると、そうした台所用品の売場はなかった。
 私はその違いに強く打たれた。アメリカは人手が少ないから給料が高く、各家庭で雇人を使えない。主婦だけの労働で済むようにきわめて合理化された台所用品が売れる仕組みがあった。
 ところが、イギリスは当時人手は豊富で人件費も安かった。台所をそれほど合理化する必要がなかった。日本でもお手伝いさんを使っている家庭の台所は、合理化が遅れている。イギリスがそれと同じであった。
 事実をみて、これは何だと考え抜き、理論にまで仕上げることが大切なのだ。
 『高橋亀吉・私の実践経済学』東洋経済新報社(1976年刊)の「第2講」より。
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大野耐一
元・トヨタ副社長大野耐一のは「なぜ」を五回繰り返すことによって対策を発見できる、とした。これは、高橋亀吉の現場思想に通ずるものである。
?なぜ機械は止まったか?
 ⇒オーバーロードがかかってヒューズが切れたから
?なぜオーバーロードがかかったのか?
 ⇒軸受部の潤滑が十分でないから。
?なぜ十分に潤滑しないのか?
 ⇒潤滑ポンプが十分くみ上げていない。
?なぜ十分くみ上げないのか?
 ⇒ポンプの軸が摩耗してガタガタになっている。
?なぜ摩耗したのか?
 ⇒ストレーナー濾過器)がついていないので切粉が入ったから。
ストレーナーを取り付けるという対策。
 (DIAMONDハーバードビジネスレビュー2010年1月号より) 

現場からの発想、その現場を大事にする経営者の意識が、日本経済を支えてきた。これが日本的経営の神髄であり、世界に発信すべきことであるのではないかと考える。