懐メロとしてのニューミュージック

日経新聞の一面コラム「春秋」は、70歳を迎えたシンガーソングライター吉田拓郎さんの秋に予定している2年ぶりのコンサートについて触れている。ニューミュージック、それはすでに死語になっている。1970年〜1980年代に吉田さんや井上陽水さんらがリードした。かれらは、テレビという巨大メディアへの出演を拒否し、ライブコンサートやラジオ深夜放送で主に若者たちの支持を勝ち取っていった。日本の音楽シーンへの挑戦者であったといってよい。
しかし、今、古希を迎えた彼らの歌声を聞いたとき、はたして、「新しい」と感じることができるであろうか。おそらく、コンサート会場を埋めるのは、60代から70代の人たちで、一つの懐メロとして吉田さんの歌を聴くのではないだろうか。はたして、今の若い人たちが、あのニューミュージックに新しさを感じてくれるだろうか。
一方で、最近知った浪曲玉川奈々福さんの古い古い浪曲を聞くと、なんとも新鮮な感じがする。新しいと感じるのである。
懐メロで昔にタイムスリップし、昔の記憶を手繰り寄せるのもよいが、ふるきをたずねて、新しきを知ることも大事だ。クラシック音楽が、100年200年の風雪に耐えて残っているのは、そこからいつも新鮮な息吹を感じるからだと思う。
春秋の筆者は、拓郎さんの曲に胸を膨らませていると結んでいるが。せっかくのコラム欄なので、最後に世相と結びつけるなど、一ひねりしてほしかった。