「ゆる」と「B」批判

日本経済新聞6月12日朝刊10面に「誰でも参加「ゆるスポーツ」」という記事が出ていた。
「年齢や障害の有無に関係なく、誰でも楽しめる新しいタイプのスポーツが続々登場している。健康寿命の延伸はもちろん、スポーツ産業の活性化策としても期待を集める。…シーソー玉入れという一風変わった協議に歓声が沸いた。…開発したのは世界ゆるスポーツ協会(東京・中央)。…」とある。
ほかに手にせっけんを付けてハンドボールをする「ハンドソープボール」、両手に手錠をはめてバレーボールをする「手錠バレー」などがあるらしい。
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO03264600W6A600C1TZD000
こうした新しいスポーツ(というより遊びに近い?)が作り出されるのは問題ないし、歓迎したい。しかし、「ゆる」という冠を付けるのには異論がある。「ゆる」といえば「ゆるキャラ」だ。最近の人気のものといえば「ふなっしー」「くまモン」といったところ。
ゆるキャラ」を全面否定はしないが、みずから一流ではなくて、二流ですよと言っているようなもの。本来一流で質の高い観光資源を持っているところが「ゆるキャラ」で、かえってイメージを落としてしまうケースもあるからだ。先の伊勢志摩サミットが開催された志摩市「非」公認ではあるが、海女萌えキャラクターに批判の声が上がった。
http://ama-megu.com/
なんでもかんでも一律に「ゆるキャラ」「ゆるスポ」であふれかえってしまったら、悪貨が良貨を駆逐することになりはしないか。
同じような意味で、全国に普及したのが「B級グルメ」である。これも自らA級ではなくB級ですと宣言してしまっている。ラーメンや焼きそばなどそのジャンルは広い。そのB級性が認知されればされるほど、その地域の観光資源や一流の料理などにB級イメージがついてしまう危険がある。
日本人、日本の地方自治体、地方企業の悪い癖は「横並び志向」である。それも高いレベルで並ぶのではなく、中から下のところで合わせようとする。そのほうがラクだからだ。おらが町、おらが村に「ゆるキャラ」があることは、住民の意識を一つにする効果もあるだろう。しかし、それに依存してしまっては成長はない。
どのなたかが言っておられた。「昔の観光ガイドブックは、その観光地の歴史から紹介されていた。しかし、最近のガイドブックはB級グルメから紹介されている。」と。
先日ここでも紹介した漫才コンビ米粒写経居島一平さんは、各県をテーマに即興で歴史の話をし、かつて「笑っていいとも」で、スタジオの若い女性たちの笑いをつかんだ。また「お笑い」を見に来た新宿の小スタジオの若い観客に、2時間延々と邪馬台国論をぶって、「歴史、やばいかもー!」と、うならせたという。いま、人々は「ゆる」や「B」に飽きているのである。そのことに供給側は気づいていない。
「ゆる」も「B」も時代遅れである。2〜3周遅れである。
どうも「国会」も「東京都政」も「ゆる」と「B」のオンパレードのようである。これから参議院選挙たけなわを迎える。また全国各地で「ゆる」と「B」が踊り狂うシーンを見ることになるのか?