自虐史観と自尊史観(レピュテーションを維持・向上・回復するには)

現役および元・経営コンサルタントの諸先輩方10数名と定期的に開いている経営研究会に参加した。テーマは「レピュテーション・マネジメント(評判管理)」である。発表者の方の「築城3年落城1日」という言葉から話は始まった。評判や信用をを築くには地道な努力が必要で一朝一夕には達成できないが、信用失墜の危機は一瞬の内に発生する。食品偽装、個人情報漏えいなどメディアを騒がす事件は、なくならない。
しかし、危機一髪の状況にあっても、事実の情報をオープンにし、自らの責任と思うことは認め謝罪し、自らの行動に自信があるのであれば、マスコミの報道に右顧左眄することがなく、無用な雑音は排除すべきである。マスコミ報道は無視はできないが、多くは誤解や悪意によるものだと思っていれば、対処の方法はあるだろう。
ある参加メンバーから自らの体験として、ある事件でマスコミの一斉集中を受けたが、組織のリーダーの落ち着いた対応で、誤解が解け、事件鎮静後は、マスコミ側から、この事件の報道の反省についての番組作りをしたいという要請を受けたという実例も紹介された。この事件以来、じつはその組織の「レピュテーション(評判)」は、大きく向上し、まさに災い転じて福となすという結果に終わったという。
この経営研究会での議論は民間企業や公的組織や団体の「レピュテーション(評判)」をどう維持し、向上し、どう回復するかということであったが、ふと、わが国「日本」のレピュテーションについて思いをはせた。
自虐史観という言葉が頭の中によぎった。企業や組織の評判の維持・向上は、顧客やステークホルダーの評判が大事だと思いがちだが、それ以前に、まずその企業や組織に属する内部の社員や構成員の自らの組織に対する評判が基礎になる。みずからの企業に誇りを持てず、数多くの不満を抱いている構成メンバーが多いのに、その企業の顧客は高い評価をしているという例はないだろう。
それは国というレベルでも言えること。自らの祖国に誇りを持てずに、外からの国の評価を上げることができるだろうか。昨今の東アジア動静、反日の動き、某大手新聞社をめぐる報道などから、いわゆる「自虐史観」の見直しが、大きなうねりとなりつつある。しかし一方で、時計の振り子が逆に振れすぎてもいけない。自虐史観の対語は何であろうか。「自尊史観」であろうか。自分で自分が優れたものと思い込むこと、うぬぼれることである。
かつての「自虐史観」を反省すべきではあるが、極端な「自尊史観」も危険をはらんでいる。企業も組織も国家も、自虐と自尊の極端に触れることなく、みずからの誇りと反省を持ち続け、発展していくことが必要であろう。そんなことを考えた研究会であった。