ラタン・タタ

(ラタン・タタが)物心ついたころ両親の仲は冷え切り、(タタが)7歳の時、ついに両親は離婚した。母が家を出たので、弟ジミーとともに祖母の手で育てられることになった。育ての親となるこの祖母から、私は人格形成で多大な影響を受けた。
「正直でありなさい」
「約束は必ず守りなさい」
「差別はしてはならない」
これが祖母の口ぐせである。
高潔、誇り、尊厳……。人生の価値とは何か、祖母は私に様々なことを熟考するきっかっけを与えてくれた。

インド最大級の企業グループであるタタ・グループの名誉会長のラタン・タタ氏の「私の履歴書」が、7月の日経新聞で30回の連載で掲載された。たいへん面白かった。

コーネル大学で建築を学び、ロサンゼルスの建築事務所に就職し、企業経営に興味がなかったラタン青年が、なぜインドを代表する企業グループの総帥として人生を歩んできたのか、その実像が明らかにされた。
タタ・グループで主流を歩かず、成長分野と見た電子機器メーカーでの事業再建、グループ内の長老との確執、企業不祥事への対処、鉄鋼メーカー買収、世界最安車「ナノ」の開発といいったタタ・グループでの歩みと同時に、2度にわたる恋人との別れといった私生活も洗いざらい告白されている。
汚職が横行するインド経済界で賄賂の支払いを一切拒否し、グループ持ち株会社の株式をタタ一族の慈善団体が所有し、毎年その収益から巨額の配当を農村や貧困者、教育、医療、文化などに社会還元しているのが、タタグループの特徴である。長期的な視点から息の長いビジネスを行う知恵がタタグループにはある。

マスコミ嫌いで今までヴェールに包まれていたタタ氏であるが、なんとも繊細で筋の通った人生の原点は、育ての親の祖母の教えにあったことが、よくわかった。