日本人は海が嫌い

 日本人は、何故、山が好きか。
 山が「地つづき」であり、山登りは日常生活と連続する穏やかな移行であり、山の風光と四季の変化は人を飽きさせず、そこに--日本人の好む--静寂と、内省的な雰囲気と、仲間意識と心身の平和がある(ように感ぜられる)からである。
 ----日本人は、何故、海が嫌いか。
 海が激越であり、非情であり、挑戦であり、あまりにも壮大であり、無限であり、単調であり、永遠であり、未知であり、不可解であり、過酷であり、しかも、そのような世界に対し、イエスかノーかの選択を、容赦なく人に迫るからである。
 もしかすると、この最後の一項が、海と日本人との最も深い断層をつくっているのかもしれない。陸続きの山と違って、海は、「選ばねばならない」。
 選択し、決断する。日本人の最も嫌がる精神活動である。われわれは、ずるずるべったり、深みにはまるのが好きなのだ--恋愛でも、戦争でも、ひたすらに、詠嘆的であり、演歌調である。だが、サルトルも言っているように、生きることは、選ぶことである。
 一体、日本人は、本当に「生きて」いるのだろうか。
 だから、
 海に行こう! 海のみが、日本人の心を広くし、心身を鍛え、新しい視野と希望とを人々の胸に吹き込んでくれる。こんなことをしていたら--精力あふれる一億の人間が、カリフォルニアより狭い国土の中で、鼻つきあわせ、足を踏み合い、リフトで山などに登って満足し、大自然に触れた、などと自己を欺瞞し、山小屋で合唱などをしていたら
 日本は、いつの日か、演歌趣味と四畳半的視野と、コップの中の足の引っ張り合いのうちに野垂れ死にしてしまうだろう。選択と決断がどんなに嫌だろうと、永遠と絶対がどんなに怖かろうと、肉体の苦痛がどんなにしんどかろうと、おみこしを上げるのがどんなにおっくうだろうと、如何なる抵抗を排してでも「港」をつくり、「船」をつくって、海に出て行こう。
 そうしなければ、日本はダメになってしまう。

十五年前に、僕は「舵(かじ)」というヨットの専門誌にこう書いた。

日本人は海が嫌い―ヨット乗りに学ぶ海の思想 (光文社文庫)

日本人は海が嫌い―ヨット乗りに学ぶ海の思想 (光文社文庫)

上の文章で始まるのは、『日本人は海が嫌い(ヨット乗りに学ぶ海の思想)』(田辺英蔵著、光文社文庫、1992年刊)である。この本を初めて読んだのは今から20年も前だ。この書き出しの一節から触発され、いろいろと考えが膨らんでいった。今あらためて、読み返し、田辺さんが憂慮された状況は変わっていない。まずは、自ら海に出てみようと思った。
<過去の当ダイアリー関連エントリー
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