ローマの哲人・セネカの言葉 中野孝次

「憩(やす)んでいる者には行動が、行動しているものには休息が、必要だ。」(道徳についてのルキリウスへの手紙3-6)
落ち着きなく絶えず忙しく動きまわっている人間もいるし、じっと坐りこんで何もしない者もいる。どちらもダメだ、とセネカは言うのだ。前者の活発さは真の活動ではなく、浮ついた心にせかされて動いているだけ、後者のは真の落着きではなく、意欲の乏しさからくる不活発にすぎない。・・・その上でセネカは、自然に向かって相談してごらんと言う。そうすれば自然は、わたしは昼も作ったが夜も作った、と答えるだろうと言う。ローマの哲人 セネカの言葉

「これはお前一人の胸にしまっておけ、人に教えるなという条件つきで知恵を授けられるのなら、僕はおそらくそれを突っ返すでしょう。どんなに善きものでも、仲間がいないのでは持っていても楽しくない。」(手紙6-4)
「何はさておき気にして欲しいのは、ルキリウス君、喜ぶことを学べ!です。」(手紙23-3)
「その人の生き方のように人はしゃべる。人の話し方を聞けば、生き方がわかる。」(手紙114-1)
「最も害があるのは、ただ先行者に従って行くことです。」
(幸福な人生について1-4)
「人間の問題に関しては、多数者の気に入る方が善ということにはなりません。むしろ大勢が集まるということ自体、それが最悪のものだという証拠なのです。」(幸福な人生2-1)

日本も世界も醜悪なる事柄であふれている。2000年前にセネカはローマ社会の中にある悪徳の数々をみてきて具体的に描き出し、それと反対のところにある徳のある生き方を説いている。人生、貧困、死など、誰もが突き当たるテーマを取り上げ、真に自由に生きることを説くセネカの言葉は、時空を超えて今の時代に迫ってくる。