転換点としての1970年代

2010年、21世紀最初の10年間が終わる大みそかを迎える31日の早朝の4時。ラジオからはNHKラジオ深夜便の歌が聞こえてくる。先生、神田川襟裳岬、昭和枯れすすき、喝采・・・
毎年の暮は日本レコード大賞の栄冠が誰に・・・というわくわく感があったのであるが、最近は誰も見向きもしなくなった。歌謡曲が死んでしまったのだ。
1974年の日本レコード大賞は森進一「襟裳岬」。岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲だ。「えりもの はるは なにもない はるです」。この歌詞に地元えりも町から非難の手紙が殺到したようであるが、歌がヒットして、逆に町から感謝の手紙が相次いだという。
http://www.youtube.com/watch?v=LTQ-WFHeS14
http://www.youtube.com/watch?v=dIjUG-T2Fk4&NR=1
演歌の森と、フォークの拓郎を結びつけるという、まさに異質のものの結合によるイノベーション作品が「襟裳岬」だ。演歌もフォークも、異質と思いがちだが地域に根差すということでは共通であり、演歌=フォークであるともいえる。
「なにもない はるです」というフレーズ。なにもないこと、ただただ春があること。この何もない春の価値はかけがえのないものである。
さくらと一郎の「昭和枯れすすき」世間に負けて、死を覚悟する二人。暗いくらい歌であるが、70年代初頭においては、まだまだ現実感がなかったのではないだろうか。70年代はそれまでの高度成長期と、オイルショックを起点とする不況期の転換点である。
あれから、30数余年。21世紀の最初の10年が終わる今日、「襟裳岬」や「昭和枯れすすき」が、現実のものとしてよみがえってくる。
来年の春は、なにもない「襟裳岬」を訪ねてみようかとラジオを聴きながら、ふと思った。