教養のためのブックガイド

文藝春秋12月号に立花隆佐藤優の両氏による「21世紀図書館・必読200冊」という対談が掲載されている。それぞれが21世紀を生きるための教養書を100冊ずつ挙げている。そのなかで自分自身が読んだことのあるものは立花さん100冊では6冊、佐藤さん100冊では12冊だ。なんともなんとも寂しい限りである。あらためて自らの教養の欠如を感じた。教養のためのブックガイド
今までも5年サイクルぐらいで教養書ともいうべき文学。哲学、社会科学、自然科学の古典を読まなければ思い立つのであるが、結局安きに流され、読むものと言えば時流に乗った本ばかりとなってしまっている。
立花さんはあえて教養書二冊といわれたら『東大教師が新入生にすすめる本』(文春新書)と『教養のためのブックガイド』(東京大学出版会)の二冊だという。この二冊のブックガイドからスタートしなさいということだ。後者のブックガイドを読んでみた。通りいっぺんの書評集ではなく、東大教養学部の各教員の方々のオリジナリティが発揮されていて面白く読めた。
とりわけ最後に登場している石井洋二郎さんの「読んではいけない本15冊」というのが面白かった。ここでいう「読んではいけない本」というのは、つまらない本やレベルの低いいわゆる駄本を指すのではない。「毒になる本」という意味である。

読む者の拠って立つ地盤そのものを掘り崩しかねない危険な契機を孕んでいる

本ということである。

自我というものが固まりきっていない若い人々にとって、それらの書物はもしかすると取り返しのつかない事態を引き起こすかもしれない。……あるいはすでに自我を確立したと信じている人々にとっても、思いがけず強烈な揺り返しをもたらし、場合によっては自分がそれまで進んできた道を踏み外してしまうきっかけになるかもしれない。…だから、自分の現状がこのままずっと続くことを漠然と望んでいる人は、やはり以下の15冊は読まないほうがいいと思います。

こうして「致死量に至らない程度の毒」15冊が紹介されている。
15冊目には石井さん自身が、その本をよんだがために他にありえたかもしれない進路を放棄して、「道を踏み外してしまった」究極の読んではいけない本が紹介されている。
その本が何かは同書を読んでのお楽しみで。ちなみに私はその本の著者も書名も知らなかった。
最後に石井さんは言う。

それを読んでしまったために今ある自分を揺さぶられ、突き崩され、解体され、その結果多少なりとも以前の自分とは異なる自分を発見するのでなければ、いったい人は何のために本を読むのでしょう?

もちろん、ある本がきっかけで、よからぬカルトや犯罪に走ってしまったり、精神に支障をきたしたりしてはいけないのは言うまでもない。しかし、いまの時代においては多少の毒を飲み込んで、浸みついた既成概念を振り払うことが必要なのではないかと思う。
最近の世界的な金融危機をはじめとして、米国を中心とした世界情勢の変化の裏に潜む真実や、環境保護の名のもとに繰り広げられつつある全く別の動きなども、すでに日本国内においても規制の考え方が覆されつつある。
すべてを疑う精神は、なかなか日本人には馴染みにくく、かつ苦しいことかもしれないが、そこから始めないと新たな展望は開けてこないような気もする。
私も15冊の名からどれか1冊を選んで、毒を食らってみようかと思う。