人工庭園:模写こそ絵画創造の原点

昨日のエントリーで取り上げた横尾忠則さんの『人工庭園』(文芸春秋社)。その文章から横尾さんのお人柄が見えてくる。これは自分と似たところがあるなというのが8割、これは自分とは違うなというのが2割。このバランスが何より心地よい。人工庭園
自分と似ているなと思ったのは004の(本書は001〜105まで番号が振ってある)夏目漱石の「こころ」を読んで、なんで漱石が「ここまで評価が高い理由は正直よくわかりません」というコメント。私も最近「こころ」を30年ぶりぐらいで読み直して、読者を引き込んでいく力には圧倒されたものの、横尾さんと同様に、なんでこんなに高い評価がされているのと感じたので。
なるほどね、と思ったところをひとつだけ紹介。
015の「模写こそ絵画創造の原点」より

以前NHKテレビの「ようこそ先輩・課外授業」という番組で、郷里の小学校六年の生徒を対象に美術の授業を行ったことがある。ぼくの提案は全員に模写をさせることだった。というのもぼくの美術の原点は模写だったからだ。昔も今も美術の時間では模写はタブーに違いない。個性尊重を重視する美術の授業ではけしからんことかもしれない。
結果は全員が驚くほど個性的な絵を描いたのである。模写とは描く対象を寸分違わずそっくり描くべきだが、それができる生徒は一人もいなかった。
だけどである。しかしそこにはオリジナルな観察とピカソもびっくりするようなデフォルメされた見事な絵画作品があったのである。ある意味で模写の対象を超えていて誰の絵にも似ていない。これらの作品を見て嬉しくなったぼくは、さらに次の課題として、今度は模写の見本もそれを模写した自作も見ないで、記憶だけで再び同じ絵を描くことに挑戦させた。
二度目の記憶だけで描いた絵のほうが最初の直接的な模写作品よりも、もっと自由でいきいきとした作品に仕上げた。こちらの絵はすでに模写とはいえない自立した立派なオリジナル作品であった。

ということで、一部省略をしつつ、横尾さんの文章を模写してみた。