根っこから考えるということ

kohnoken2007-07-15

台風が近づく連休の初日に、学生時代に所属していたサークルの卒業生の会に参加するために都心に向かった。この学生サークルが創られたのはなんと1915年、今から90年以上前のことである。現在に至るまで連綿と続く歴史は誇ってよいことかもしれない。今まで幾多の政治家、学者、ジャーナリスト、企業経営者を輩出してきた。年1回開催される総会では、私が学生時代一緒に活動した仲間の一人が記念講演を行った。そして、同期である私が司会進行役をつとめた。
ジャーナリストを経て、現在テレビでも活躍している学友の講演は、私を目覚めさせてくれる刺激的なものであった。「日本が目覚めるために、根っこから考えよう」というサブタイトルがついた1時間30分に及ぶ話は、そこに集まった20歳前後の現役大学生から70代の長老組にいたるまで、ひとりひとりのココロを揺さぶった。
折りしも、参議院選挙が間近に迫っている。この国の主人公が自立するために根っこのところを議論し語ることが必要であるのに、なぜか社保庁やら政治家の事務所経費といったところに争点が集中している。国家の中核的な機能のひとつが外交防衛であるはずだが、今回の国政選挙では見事にこのテーマが隠れてしまっている。
友の話は、自らの経験をベースに自らの分析軸で、みずからの意思を持って次の世代へメッセージを送るものであった。経験談を語ると通常は自慢話になってしまう。自慢話になってしまっては聞き手はひいてしまう。友の話は見事に経験を昇華してくれた。経験から何を発見したか、その発見は今後にどう活かせるのか、どう活かせべきなのか、ということを語ることにより経験談は大きな価値となって人々の心に浸み込み、それがまた口伝えで広がっていく。そしてそのためには、質問力が重要だ。自らが自らに質問し、その答えを苦しみながら考え、答えを出していく。
いろいろなことを教えてもらい、そして日本人としての宿題を突きつけられた。
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