まけるが勝ち:「日本人の忘れもの」より

kohnoken2006-03-26

先日読んだエッセイ集『日本人の忘れもの第2巻』中西進(ウェッジ)が面白かったので、
http://d.hatena.ne.jp/kohnoken/20060226/p1
第1巻と第3巻を購入して読んだ。日本人が変化を遂げていく中で、忘れてはならないこと
この第1巻(2001年刊)では、「心」「躰(からだ)」そして「暮らし」の3つの章で
語られている。日本人の忘れもの
この第1巻の最初に取り上げられているのが、「まける」ということである。

「まけるが勝ち」
負ける伝統をもつ日本人は、近代ヨーロッパふうに頑張って外国人相手の取引をしてみても、ついつい及び腰になって徹底攻撃ができないから、ほんとうに負けてしまう。お人好しの日本人と陰口をたたかれて、じたんだ踏んでくやしがることになる。日本人だって取り引きに勝ちたいのである。しかし、負ける。
いったい、これはなぜだ。間尺にあっているのか。
まけるが勝ち
・・・・・・
いったん敗けておいて力をたくわえ、大勝負に勝つことをもくろむ方がよい。負けるが勝ちとは、よくいったものだ。

筆者は、負けるが勝ち、ということからイソップの兎と亀を思いだすという。最近は、この寓話を「油断大敵」の教訓にとることが多いが、筆者は言う。

イソップが言いたかったことは、
「敗けることを気にしないで、自然に生きていきなさい。そうすると結果は必ず勝つのです。」
この教訓を、さいきんの日本人は忘れている。

この日本人の忘れものを現実に気づかせてくれたのは、
王ジャパン(ここではあえてイチロージャパン?と呼びたい)であり、荒川静香選手である。
イチロージャパンは一度死んだ。枝がしなうように。
「しなう」すなわち「しぬ」ことによって弾力をたくわえ、いっそう力が強くなったのである。
「しなう」は「しのぶ」にも通ずる。堪えしのぶことで力は内部に凝縮する。たくわえられたエネルギーは、ついに大きなエネルギーとなって爆発する。それが日本人の忘れものだ。
イチロージャパンと荒川さんは、日本人の忘れものを気づかせてくれたように思う。
(画像)WBC世界一になった後、サンディエゴのホテルで別れの握手をする王監督イチロー選手。中日ウェブサイトよりwww.chunichi.co.jp/ 00/spo/20060322/wbc_m3.jpg