100分の5秒を狂わした脳の変化

kohnoken2006-02-15

 先日の日曜日の午後、やっと風邪も回復して元気が出てきたのでウオーキングをしながらTBSラジオの「伊集院光日曜日の秘密基地」を聴いた。ルー大柴とともに、最近はやりの「脳」についてのトークがあって面白かった。ルー大柴52歳、いい味出している。番組で冬山遭難の話が出た。
 冬山で遭難する人は吹雪の山中で倒れているよりも、山小屋を目前にして力尽きてしまう場合が多い、という。あと少し歩いたならば、安全な山小屋にたどりつけたのに、なぜ、力尽きてしまうのか。それは吹雪の中を死に物狂いで歩いていた遭難者の脳が、山小屋を目にした瞬間に「これで助かった」とイメージしてしまうからだという。
「助かった」と思った途端、直前まで生きようとして必死に活動していた脳の力は一気に下がる。脳の力が下がれば体は、そこより先に進まなくなる。そして死にいたる、のだという。
 そうならないためには、「下山するまで頑張れ」というように、すぐさま次の目標設定を行わなければならない。脳は有能であればあるほど、「もっともっと」と先の目標設定に力を注ぐことになる。このようなしくみが、さまざまな技術や文明の発達をもたらしたといえるが、一個人が背負うとなると、たいへんな重圧となる。
 さて、トリノのスピードスケート500メートル、日本のエース加藤選手はスタートを前にして、前の組のトラブルで長い時間待たされた。女子の岡崎選手、手の動きを指摘されフライングをする。次にフライングすれば失格となる。
 いずれもスタート直前に緊張の糸が切れた。このことが脳に与えるダメージは大きいと思う。とくに加藤選手の場合は、あまりに待ち時間が長すぎた。その間に彼の脳は、もうレースは終わった、とイメージしてしまったのかもしれない。
 そこは精神力で、とは言うのは簡単だ。この脳の変化をカバーするの至難の業だ。岡崎選手は、試合前のインタビューで「人間の限界は有限ではなく、つねに超えることができる」と語っている。次の目標設定が可能な有能なる岡崎選手の「脳力」を持ってしても、一瞬の緊張の途切れをリカバーすることは難しかったのかもしれない。100分の5秒の差でメダルが届かなかったのが残念だ。
スケート競技を見ながら、脳の力の不思議さを考えてみたりした。
(画像)惜しくもメダルを逃した岡崎朋美選手asahi.comより