2005年は透明人間が増えた時代だった?

12月31日大晦日。大掃除で自宅の部屋の掃除を試みた。整理整頓して新年を迎えたいから。まずは、本がスペースをとっているので300冊近くをブックオフで処分した。年越しのお小遣い程度になったのがうれしい。前のエントリーで触れた阿久悠さんが1985年に書かれた『人生は第二志望で成功する』(徳間書店)が黄ばんだ姿で書棚の奥から出てきた。この本は処分できない。

第一志望の挫折で、人生のすべてを失ってしまったような絶望感を抱くなどは、とんでもないことである。生きて行くことを、ファンタジーと思いたいのなら、見えない扉を、そのつど緊張と興奮をもってあけ行く人生を選ぶべきである。

阿久さんは、「第二志望」とは現代の大いなる死角のような存在だと主張している。既成概念にこだわらず、つねに変化しながら良い作品を作っていった阿久さんらしい意見だ。
結局、本の整理をしただけで整頓までにはいたらなかった。ちなみに整理と整頓とは意味が違うと20数年前にあるところで教わった。整理とはいらないものを捨てること。整頓とはその後で使いやすいように並べ替えることである。歌謡曲の時代
本の処分をして、一冊の新たな本を購入してきた。阿久悠著『歌謡曲の時代』(新潮社2004年9月刊)である。先のエントリーで、21世紀の現代という時代に阿久さんは、何をメッセージとして発するか、という問いかけをした。
その答えは、この本には書かれていないが、かつてのおびただしいヒット曲を取り上げながら、今の時代ならこういうふうに書くだろうということでヒントが与えられている。
たとえば、ピンクレディーの「透明人間」。子供の頃、阿久さんが夢想し続けた透明人間。子供のときに疑問に思った「透明人間現わる」という言葉の矛盾が、ピンクレディーの詩に繋がったという。「透明人間あらわる あらわる 嘘をいっては困ります あらわれないのが透明人間です・・・」
阿久さんは続ける。

さて、二十一世紀になって、透明人間は夢か憧れか、ふとおもちゃ箱を覗くと、既に戸籍からも消えていることに気がつく。
なぜかというと、今の時代の人々は常に透明人間化していて、自分の姿が他人からどのように見えているかと、気にしなくなっているのである。・・・これでは本家の出る意味がない。

このウイズダム・ダイアリーは匿名(コードネーム)で書かれている。現実の姿が見えない。いわば「透明人間」が書いているようなものなのかもしれない。ネット社会が進み、ブログが注目された2005年の最後に、阿久さんから良いヒントをいただいた。
もうひとつ、先のエントリーのベストテンの次点に選んだ「ざんげの値打ちもない」。これは1970年作品だが、阿久さんは言う。「ざんげの値打ちすらないというのは、今の時代に書くべきであったと考える。」と。建築設計偽造問題などを見るにつけ「ざんげの値打ちもない」という言葉を作り出した阿久さんに作詞力に驚かされる。
阿久さんは言う。今の時代は、平成の人間には支えきれない重さと大きさを持ってしまっているという。
2006年は、このブログを通じて阿久さんが言うように「時代を貪り食いながら太ったり、きれいに化けたりして」行きたい。足元には及ばないが、その気概だけは受け継いでいきたい。さて2005年NHK紅白歌合戦が始まった。音声だけ聞いていると、言葉が伝わってこずに、これでもプロかと驚いてしまうほど、音が外れている。紅白を阿久さんがプロデュースしたらどうなるのだろうか。
それでは、皆さん良いお年をお迎えください。