逡巡(しゅんじゅん)の演技

kohnoken2005-12-03

逡巡とは、「勇気がなく、思い切ってやれないで、ぐずぐずすること、しりごみすること」(三省堂国語辞典第四版)。
映画「Always三丁目の夕日」、二回目の鑑賞をした。
公式サイトhttp://www.always3.jp/の中のメッセージボードに寄せられた多くの人の中で、昭和30年代という時代に、まだ生まれていなかった若い人たちがなぜこの映画に感動し、涙するのかが不思議に思っていた。その謎が解けたような気がする。
その答えはあまりにも単純だ。人間の心が描かれているということだ。
もちろんCGを活用した迫力ある画面や風景の懐かしさや、良い映画に欠かせない音楽のすばらしさもあるが、人間の心が描き出されているのが、人気の秘密だと思う。たとえば、われわれは外国に暮らしていなくても外国映画に感動するではないか。
この映画は、「新しい時代劇」(新しい、と、時代劇、というのは矛盾しているが・・・)かもしれない。昭和・時代劇だ。江戸時代に暮らしていない現代人が時代劇に感動するように。
2度目に見て、やはり須賀健太君演じる淳之介の演技がすばらしい。映画のパンフレットにある須賀君へのインタビュー記事によれば、「最初に、”君にかかっているからね”と監督から言われた」という。
「おまえとはあかの他人なんだから」と吉岡秀隆さん演じる駄菓子屋の売れない文学者の茶川竜之介に言われて、茶川と一緒に暮らしたいと思いつつ、迷惑をかけるかもしれないと「逡巡する」演技が、なんとも観客の心を揺さぶる。
私にとってのクライマックスは、実の父親に引き取られていった淳之介が、逃げ出して茶川の元に戻ってきて抱き合うシーンだ。「また三人でライスカレー食べれるよね」というセリフの重みは、この映画を見た人でなければわからない。
上映期間が終わらないうちに、ぜひご家族で(とくに、年老いたご両親をお持ちの方はご一緒に)、カップルで、そしてひっそりお一人で見ていただきたい映画です。
三回目も是非みておきたい。
(画像)「Always三丁目の夕日」パンフレットより