夢の手帳

kohnoken2005-12-02

12月、書店や文具店は来年の手帳の陳列でにぎわっている。ここのところ手帳ブームとも言うべきか、人気が高まっている。手帳そのものと同時に、手帳にかかかわる本も増えている。ネット上のキーワードでも手帳は人気だ。今年は「ほぼ日手帳」や「超整理手帳」などに人気が集まっている。
手帳というのは毎年、同じものを使ったほうがしっくりくる。私も一時期システム手帳を試したことがあるが、ほとんど日本能率協会能率手帳を使ってきた。
今回は、思い切って「ほぼ日手帳」に変えてみようと思う。手帳が変われば考え方や行動も変わるだろうか。マネネリは良くない。刺激と変化が必要だ。
手帳は単なるスケジュール管理のための手帳ではなくなっている。過去と現在を記録するのと同時に未来の夢やビジョンを描く道具でもある。
未来を創造したり、アイデアを生み出したりする創造的なツールとして手帳が見直されている。
夢は持ち続けなければならない。夢の多さ、夢の大きさがその時代の幸福度とも相関しているように思う。はたして、今は夢多き時代かといえば、残念ながらそうではないといわざるを得ない。あの「Always三丁目の夕日」のような夢が満載の時代とは程遠いが、まったく別の視点から夢を求めることが出来ないのだろうか。

夢は諦めなければ逃げてはいかない。しかし、夢は現実によって断ち切られることもある。ただし、他者による妨害など長い時間から見れば大したことではない。そう自覚するのはしばらく経ってからのことだが、たいていのことどもに、取り返しの効かないことなどないことだけは、いま深く自覚している。若い夢、中年の夢、初老の夢などなど、いつまでも自分の理想を抱くことはとても大切なことだ。

これは、評論家・有田芳生さんのネット上の日記http://www.web-arita.com/の中の『酔醒漫録』11月30日にある一節だ。
夢に年齢は関係ない。若い人も中高年も夢を持たなければならない。
有田さんは次のように続けている。

わたしの最初の「夢」は20年ほど前に破れた。しかし、破れたことによってさらに大きな現実的な夢が生まれた。それは何かといえば、この広い世間で、その広さに応じて自由に延びて行く生活があることを知ったことだ。世界を理解しようとパターン認識を進めることで、広がる世界を狭く見ていた個人的限界が、「夢」を失うことではっきりと「見えた」。そんなものなのだ。

夢を失うことで、まったく新たな夢を偶然にも見つけ出すということは、たしかにあるといえる。夢を持たなければ、夢を失うことは出来ない。
文芸賞に落選を繰り返し夢を失った茶川竜之介(芥川ではなく茶川)も、映画http://www.always3.jp/の中で新たな夢を見つけ出したではないか。
(画像)ほぼ日手帳http://www.1101.com/store/techo/2006_2nd/concept/index.html