乱れる

成瀬巳喜男監督の「乱れる」は高峰秀子主演で1964年(昭和39年)の東宝作品。乱れる [DVD]
戦後を生きる未亡人・高峰秀子と義弟の加山雄三の名演が光る。今、見返すと画面からは昭和30年代の日本の高度成長の息吹と、目に見えない精神の中にある戦争の残滓が見て取れる。
高峰秀子は凛とした女性を演じている。そして素としての女性に一瞬乱れ、そして最後にはまた素ではない自分に戻り、映画の結末を迎える。
結局、男は弱いものだ、ということを感じた。
ある評者によれば、この映画は「橋」が語りかけてくるという。過去の世界から新たな世界への転換という人生における人間の心の中の決断を「橋」を渡るというシーンで表現しているという。たしかにそう思う。
そして、この映画を観るといくつかのイメージがよぎってくる。
スーパーの脅威におびえる商店主は、先日亡くなられた中内さんを思い出した。舞台となった酒屋でのカメラワークは、寅さん映画の団子屋でのシーンに受け継がれたのではないかと思う。湘南電車と呼ばれた東海道線の駅や車内や車窓の風景は郷愁を誘う。そして、最後は東北の銀山温泉だ。時代を先取りしている。高峰秀子は「二十四の瞳」の先生役を思い出す。
人間というのは素の自分を押し殺して普段の生活をしているところがある。だから俳優は素の自分ではない役を演じることができる。しかし、素の部分が出すぎた生活を送る者もいる。そうした人を演じるのは難しい。加山雄三の素を演じる演技は名演なのか迷演なのか。