[コラム]すすきと渡り鳥

kohnoken2005-09-19

昨日18日は仲秋の名月だった。夕暮れに見た満月は暖かく大きく見えた。これだけで何か心に安心感がもたらされる。セブンイレブンは月見団子を販売し、購入者にはすすきが無料で配られた。生のすすきを調達するのは容易ではないはずで、七夕のときの竹飾りといい、伝統行事に目を向けたこのセンスはさすがだ。
今の時期(9月17日〜22日)は七十二候でいうと「玄鳥去(げんちょうさる)」。夏の間に野や川に飛び交っていたツバメが南の越冬地に帰っていく時節である。ツバメは陰気な家には巣を作らないといわれ、棲みついた家には幸せがおとずれるらしい。
鳥の世界は、留鳥といって一定の場所にとどまるカラスやスズメなどと、ツバメのような渡り鳥に分けられる。同じ鳥でも、なぜこうした大きく異なる行動をとるのか不思議だ。
人間の世界も似たところがある。
農耕民族と狩猟民族という二分化が代表的だし、やや食傷気味の選挙の話題で言えば、特定政党支持層と無党派層などがあるだろう。ただし、渡り鳥はつねに渡り鳥だが、人間は狩猟民族が農耕民族になることもあるし、無党派層が特定政党支持層になることもある。このへんは鳥と人間とは違う。
渡り鳥の中には北極圏から南極圏まで移動する種があるらしい。そこには危険が待ち構えているだろうし、結構疲れるだろう。しかし、刺激に満ちて爽快感のある人生、いや鳥生(こんな言葉はないと思うが?)だと思う。一方、留鳥のカラス、とくに都会のカラスは飽食という恩恵を受けている。カラスに生活習慣病はあるのだろうか。もちろん、人間同様都会でのストレスに悩まされていることだろう。
渡り鳥の爽快さと留鳥の安寧さの二兎を追うのは贅沢なのだろうか。二兎を追うもには一兎も得ず、ということにあいなっていまうのだろうか。
(画像)http://ymiyagi.cool.ne.jp/diary/d200006/0610tubame.png