397世代を超えて

ニューズウィーク表紙

総選挙の日の日曜日の朝のテレビの報道番組は選挙関係の情報を流せない。フジテレビの報道2001は「最先端不老不死の科学と倫理」を取り上げていた。ロボットの開発や、技術の進歩と生命倫理の話題など、普段の騒々しい政治論争とは離れて落ち着きがあった。しかし、あと数時間すれば、テレビ各局のお祭りが始まる。突然振って沸いたお祭りだ。夜を徹してのカーニバルが始まる
劇場型選挙の功罪が話題になっているが、いままでのわかりにくい選挙を歌舞伎型、今回の選挙はミュージカル型だ、という東京都の34歳の主婦の声を記事のタイトルに使っているのはニューズウィーク日本版9.14号だ。
私見だが、報道メディアの役割とは、「過去を振り返り、今を決断し、将来を構想する材料になること」だと思う。総合週刊誌の役割もそこにある。日本の週刊誌は永年、スキャンダル志向に陥っている。スキャンダル記事により購買層の覗き見欲求を高めて販売部数を伸ばそうという狙いだ。乗せられやすい私なども月曜日は週刊ポスト週刊現代、木曜日は週刊文春週刊新潮を覗き見心理をうまくくすぐられて眺めてきた。そこには、残念ながら過去を知ることも、今の決断の材料も、将来を構想するきっかけも見つけられない。
通勤電車の行き返りで情報は消費され、後には何も残らない。無駄のオンパレードだ、といっては言いすぎだろうか。
これに対してニューズウィーク日本版は無駄がない。その時々のメインテーマに引かれて時々眺めている。日系週刊誌にはないジャーナリスト魂を感じる。先週号は「日本を変える397世代」だった。397世代とは00年代に30代+90年代に大学生+70年代前後生まれの層のことで、従来の選挙の流れで言えば、投票率が平均を下回る30代の世代のことで、この人たちの今回の投票行動いかんで日本の政治が変わるというのである。
私には、この397世代も過去の世代のように思う。ポスト397世代、わかりやすい例で言えば宮里藍世代に期待するところ大である。賢明なる397世代はそのくらいの危機感は感じているはずである。
今回のニューズウィークで、心に残り、現在や未来を考えるきっかけになった記事やフレーズについてメモをしておく。
◎トップのパースペクティブ欄でのスリランカ在住者の発言

(アジアを襲った)津波に巻き込まれた観光客で、強盗にあった人は一人もいない。アメリカの現状を見ると、文明が進んでいるのがどの地域かがよくわかる。

EU加盟をめざして進めてきた改革で長い停滞期を脱しつつあるトルコのイスタンブールについての記事での作家の言葉

現代的で豊かになった今も、私のイスタンブールは寂しい。ここでは誰もが異邦人で、誰もが孤独だ。この町の無秩序さがどれほど魅力的かを知りたければパヒューマリー(薬局)をたずねてみればよい。色とりどりの瓶や箱に囲まれると、イスタンブールの魂とは、過去に生きたすべての人の情熱や夢の結晶だと思えてくる。

◎イギリス人作家による『飢えた日々‐ある食べ物依存者の告白』への書評での一節

女性の問題とされていた肥満とダイエットというテーマについて「男の視点」が得られるのがよい。著者のリースは次のように語る。「物質的に豊かで消費者が選択権をもつ時代には企業が成功するには製品だけでなく、欲望も作り出さなければならない。生存競争の激しい現代の市場では、習慣性のある製品こそ理想だ。」肥満を作り出す根底に大きな問題があるとしたら、ダイエットは完璧な解決にはならない。

最後に、ニューズウィークの紙面を飾る写真は、一枚一枚が意味を持って読者に語りかけてくる。この点でも編集者の意識の高さが感じられる。
残念ながら日本の総合週刊誌の国際競争力は弱いものがある。
(画像)ニューズウィーク日本版9月14日号表紙