「友垣は皆死にたれど祭りかな」(松崎豊1921〜)

夕暮れに近所の公園から太鼓をたたく音が聞こえてくるようになった。近々行われる地域の夏祭りの練習のようだ。都会から季節感がなくなったという。なくなったのではなく見えていないのかもしれない。それだけ現代人の心の余裕がなくなってしまったのかもしれない。
季語という言葉のジャンルを言語の体系の中に明確に持っているのは日本語だけらしい。それは俳句という世界最短の詩の形によってみがきあげられてきたと言われている。
タイトルにかかげた「友垣は・・・」の句。友垣とは友達のことをいう。かつていっしょに神輿をかついだ友達の多くはこの世を去った。しかし、今年もまた変わらずに、祭りの季節がめぐってきたということを思う句である。京都の祇園祭は、この世に恨みや未練を残して他界した御霊を鎮める御霊会がはじまりだという。秋祭りが五穀豊穣を感謝する祭りであるのと意味合いが異なる。
季節の変化を敏感に感じることができるようにしよう。伝統文化を見直してみよう。
先日の七夕のとき。子供たちの願いが綴られた竹飾りを、あのセブンイレブンが店頭で飾っていた。季節や時間の観念を失わせる象徴のような現代の「よろずや」ですら季節感を演出しようとしている。大げさに言うと季節の変化に目を向けることが消費意欲促進のきっかけになるかもしれない。それは日本人の生活における満足感を高めることにもつながる。そのためには温故知新で日本文化を勉強しなければならない。
(参考資料)『名句で味わう四季の言葉』中村裕著(小学館2003年)