セレソン

男子サッカー日本代表は、来年のブラジルワールドカップのアジア予選は早々に通過したものの、その後の国際試合では結果を残すことが出来ずにおり、日本経済と同様に沈んだ状況にある。また女子もU―19(19歳以下)女子アジア選手権で4位に終わり、来年8月のU―20ワールドカップ(カナダ)出場権を逃した。男子も女子も壁にぶつかっている状態である。
かつてブラジルのサッカーキャプテンを務め、ワールドカップ優勝にも大きく貢献し、後にジュビロ磐田でもプレーし、2006年7月から2010年7月までブラジルの代表監督たドゥンガは1998年に『セレソン(CELESAO)』を出版している。そこでは1997年11月にマレーシアでイランを破ってフランスワールドカップに初出場する日本チームに警鐘を鳴らした著作である。残念ながら絶版になっているが、古書では入手可能である。

セレソン

セレソン

この本を読むと、あれから15年たち、日本サッカーも進歩したように見えるものの、根底のところでまだ、進化したとはいえず、欠点の是正がなされていないのを感じる。それと同時に、同書の発刊された直後から日本経済の国際社会における地位の下降が始まっていくのであるが、日本企業や日本社会への警鐘として、今なお古さを感じさせない内容となっている。
ここで、ドゥンガの指摘をいくつかまとめておく。
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1)日本チームはすべきことをし尽していない。
勝つべき試合を落としたり、相手は弱いから簡単に勝つだろうという感覚が残っている。今までの試合の分析を徹底的にすべきだ。
2)日本チームはコミュニケーション不足
ピッチ上で怒鳴ったりするのは敬意に反するという意識があるようだ。試合に負けたら敬意も何もない。注意をしないことで負けたら二人の関係は友人のそれですらない。
3)日本チームは間違いを見つけてもなかなか変えようとしない。
トライしてだめなら、別の方法を考えるべきだ。
4)日本人の監督はあらゆるものの上に立ちたがる。
一人の人間があらゆる面で誰よりも優れているとは限らない。自分より知識や情報を持っている人間は必ずいる。若かろうと年配であろうと、その人の話は聞くべきである。
5)外部招へいでポリシーがしっかりしていない
これまでに招聘した海外からの指導者や選手で問題のあった人もいるかもしれないが、根本は呼ぶ側のポリシーがしっかりしていないケースがほとんどだ。専門家畏敬主義ですべてお任せにしたり、呼ぶ側が過剰に口出ししたりといった事があってはならない。呼んでくるべきは、選手に教育のできる監督、チームに貢献できる人材、つまり日本選手やスタッフの模範になる人間でなければならない。
6)日本人はほんの少しのことを覚えると、もうすべて理解したような気になってしまうことがままある。
サッカーはつねに学習を続けなければうまくならない。絶対に立ち止まることは許されない。
7)日本人は謙虚さが足りない
ワールドカップのレベルとアジアのレベルは違う。アジアで代表に選ばれるのと南米で代表に選ばれるのとではそのプレッシャーは大きく違う。たかがオリンピックでブラジルに1勝したということを語り草にして喜んでいるような陳腐なメンタリティは捨てたほうがいい。
8)キャプテンは医者である
キャプテンというのは監督と選手の間に立つつなぎ役ではあるが、伝達係ではない。選手たちの雰囲気をつかまなければならない。本当の医者はまず予防に全力を尽くすものだ。キャプテンがチームの雰囲気を感じ取らなければならないというのはそういうことだ。
9)日本の選手には気合が足りない。
ジュビロ磐田でもっとも難しいと感じたのは、若い選手たちに、絶対に勝ちたいという怒りに似た闘争心をいつも百パーセント発揮させることだった。
10)日本の選手は自分のことばかり気にしている。
周囲の人に注意を払わなければいけない。サッカーはサポートしあうスポーツだ。
11)基礎があるから高度なプレーが生まれる
日本チームに勝ち負けの波が激しいのは、基礎が出来ていないからだ。日本の試合はあまりにミスパスが多すぎる。
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グローバリゼーションを否定し、日本の伝統的な文化こそ見直すべき、と主張する人たちが国内で喝采を浴びつつある。もちろんその考えにも一理ある。しかし、今まで培ってきた日本の国際競争力は、海外からの技術や知識の吸収がなければ成り立っていないのも事実である。いまこそ和魂洋才、魂の部分も国際レベルでの試練に打ち勝つものでなければならないと思う。