黒田官兵衛の情報学

来年2014年のNHK大河ドラマ黒田官兵衛を主人公とする「軍師・官兵衛」である。官兵衛は信長、秀吉、家康に仕えた戦国時代を代表する軍師である。とくに秀吉に仕えて山崎の合戦で明智光秀を平らげ、小田原を二十万の大軍で囲んで降伏させ、天下統一を果たしたのは有名である。
筆者の宮崎正弘さんは現在では中国ウオッチャーの第一人者であり、その中国レポートは綿密な取材に基づく、足で稼いだものであり、ファクトの積み重ねによる現状分析は多くの支持を得ている。

宮崎さんによれば、四半世紀前に「戦国武将の情報学」を上梓され、インテリジェンスの重要性を説かれたが、現代においても日本人のインテリジェンス能力は政治の世界でも経済の世界でも進歩していないという。
黒田官兵衛こそは、情報、謀略、防諜、畏怖宣伝、イメージ作戦、嘘放送、宣伝戦争、偽情報、攪乱情報、偽造文書、調略などの分野で卓越した規範を示した人物であるという。黒田官兵衛から現代日本人が学びとる教訓は山のように多いと宮崎さんは強調する。
インテリジェンスという視点からでも黒田官兵衛はさまざまな特徴を有するが、ここでは私の解釈として三つの点をまとめておきたい。
1)商人発想
官兵衛の軍事作戦は武士の形式にとらわれない、自由奔放のところがある。第一に商人の発想を持っていた。

鳥取城飢え殺し作戦で兵糧攻めを効率化させるため、鳥取の農民、商人から二倍三倍の値で米を事前に買い占めて籠城組の飢えを促進した。これは武士の美意識からはほど遠い。

官兵衛の生まれは備中長船(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)で祖父と父は目薬の製造販売を行っていた。また官兵衛の八代前は近江の黒田郷出身で近江商人の血が官兵衛には受け継がれている。ちなみに関ヶ原の後に九州・筑前国を与えられるが、故郷である長船町福岡にちなんで福岡城
という名前が使われ、以後福岡と博多という地名が使い分けられることになる。
2)エンジニア
第二に官兵衛は石垣を積む穴太衆(あのうしゅう)など困難な土木工事をこなすエンジニアを確保する手腕を持つ今でいうゼネコンの統領であった。

秀吉物語のなかで最も面白い城攻めは備中高松城水攻めだ。この奇想天外な計画と実行は黒田官兵衛の進言による。なにしろ、大きなダムを造って城一つを水の中に沈めてしまおうというのだから、発想そのものが武将というよりエンジニアの感覚だ。

3)タフネゴシエーター
城攻めを力ではなく、戦わずして相手を降伏させるという方法は、足利時代から定着したといわれているが、これを史上空前の規模で展開したのが後北条氏を攻めた小田原の決戦で、そこで官兵衛はタフネゴシエーターとして活躍した。

小田原での官兵衛の役割は得意の調略である。敵を内向させ、兵糧を絶って威嚇を繰り返しながらも、敵との条件闘争、その交渉役という、もっとも重要な役割を担当した。

最近の国際情勢を見るに、領土問題、中東情勢、TPP交渉など、まさに情報戦争とでもいうべき様相を呈している。本書やNHKのドラマが日本人の正しいインテリジェンスへの理解につながるとよいと思う。