天城越え

道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい速さで麓から追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。
伊豆の踊子 (新潮文庫)

この出だしで始まる川端康成の名作「伊豆の踊子修善寺から下田に向かう主人公とは反対に下田から修善寺に向けて帰路に着く。
伊豆急が走り、雄大相模湾を見渡す東伊豆。
伊豆の踊子」や井上靖の「しろばんば」といった日本文学の名作を生んだ修善寺湯ヶ島に代表される天城の中伊豆。
夕陽と見晴らす富士が美しい西伊豆
伊豆半島は観光立国を目指す日本の象徴的なエリアかもしれない。
2009年、明るい話題といえば野球だった。ワールドベースボールクラシックでの決勝戦。不振だったイチローが韓国との決勝戦でヒットを放つ。あのイチローがシアトルのセーフコフィールドでテーマ曲に選んだのが石川さゆりが唄った「天城越え」だった。急峻な山道を何度も何度も越えていく。それが天城越えだ。いまは、道路が整備されて難なく越えてしまうが、伊豆の踊子の作品が生まれた大正初期には、まだまだ徒歩での移動が中心だった。
イチローは数々の記録を塗り替え、年齢の限界を超えていくということで、一日一日が天城越えだったのだと思う。
川端康成の「伊豆の踊子」の小説。新潮文庫でも約40ページ弱の短編である。この小説を読み返したのは30数年ぶり。川端康成20代の頃の作品である。旅芸人一座と主人公が織りなす天城越えの旅。小説は行間で読むということが分かる世代になってきた自分に驚きもする。数え年で20歳の主人公、今の20歳の若者はおろか、その親の世代である自らと比べても年の差は感じられない。
科学技術や経済は発展してはいても、一人ひとりの人間の成熟度は、時代とともに進んではいない。そんなことを思いつつ、天城峠を南から北へ越えた旅であった。