整理整頓とグーグル

風薫る季節のゴールデンウィーク、海外旅行や国内旅行の状況はよくわからないが、今年は天気の具合がいまひとつなのと5月に入ってのガソリン値上げで、たぶん身近なレジャーで過ごそうとした人も、思いとどまって家の周りをウロウロして過ごすという人も多かったのではないだろうか。
かくいう私も自宅の部屋の整理整頓などをして過ごし、本棚の奥から出てきた積読だった歴史の本を読み出してとまらなかったりして、なんともエコノミーでフトコロにやさしい生活をしている。
ちなみに、このように部屋の整理をしようとして本を片付けたりしていて、思わぬ忘れていた本にめぐり合うことを「セレンディピティ」という。これは最近では茂木健一郎さんが著書の中でよく使われているが、先日のエントリーで紹介した外山滋比古さんも『思考の生理学』(ちくま文庫)の中で、この言葉の解説をされている。
さて整理整頓といえば、日本の製造業の基本は5Sだと教わった。整理、整頓、清掃、清潔そして躾というローマ字にすると5つのSのイニシャルで始まるものだ。最初の二つの整理と整頓は意味が違う。ほとんどの人はその意味の違いを問われても答えられない。整理と整頓の意味を国語辞典や生産管理の教科書から引用してもよいのだが、ここではちょっと変わった用語辞典ともいうべき『仕事ができる人の心得』(小山昇著、阪急コミュニケーションズ、2001年刊)から引いてみよう。
仕事ができる人の心得

整理とは「いるものといらない物を明確にし、いらない物を捨てることです。捨てなければならない時、その大切さがわかるのです。捨てるのが一番難しい。社長(トップ)がいらない物を指示する。捨てる痛みを知る。」
整頓とは「必要な物を必要な時に、すぐ使える状態に保つことであり、そのために置き場所を決め、数量を明示し、管理責任者を決めることです。そして、使ったあとは必ずもとに戻すことです。」

ちなみに、この小山さんの本のアイウエオ順の最初の用語の項目「愛」が「関心をもつことです」となっていたのが印象的で、この本を時々見返しているので、ここで使わせていただいた。
つまり、まずはいらない物を捨てること、その上で並べ替えたりして使いやすいようにしよう、というのである。工場などでいらない部品や工具をまずは捨てた上で、使いやすいように並べ替えて生産効率を上げようということだ。これは何も工場だけでなく日常生活でもいえることで、オフィスや自宅でも整理整頓をすれば、無駄が省けて気持ちよくなる。
なんだ、当たり前のことじゃないか、とは言うものの、現実には整理整頓をするということは、結構やれていない。何かのきっかけに「えいやっー」でやらないといけない。実は5Sには清掃と清潔という似たような言葉も入っていて、気がついたら清掃するのではなく、日時を決めて清掃をルール化するというのも工場管理の基本であったりする。これはコンビニなどの小売業では日常行われていることでもある。しかしオフィスなのではまだ出来ていなくて、資料の山になっているデスクも多いのが現状だろう。
ところで、話が長くなっているが、このエントリーのタイトル「グーグル」は、どうなったのか・・・この整理整頓という作業の重要性はあらゆる場面で有効なのであるが、ふとネット上ではどうかということを考えたりもする。ロングテールの存在が意味を持つネットにおいて整理整頓は重要か、ということだ。リアルな空間ではスペースが限られている。したがって、いらない物を捨て、使いやすいように、すぐ見つかって手を動かしやすいように整頓を、「つねに」しておくことは意味がある。しかし、グーグルに代表されるネット上のツールが精度を上げつつある中で、ネット上での整理整頓はどこまで「自ら」行うことが必要か、ということについて考え出したら、眠れなくなりそうなので、この辺でやめておく。
ちなみに、「有限な世界における整理整頓は無限な世界ではどうなのか」を考えるきっかけはDanさんの下記のブログでの発言だった。

かくいう私は、本書の著者達のように有限性を自覚してもいなければ、吉田松陰のように「客覚」したわけでもない。いや、有限であることは「知って」いる。しかし自分の果てがどのあたりにあるのかはまだ「知らない」。有限ではあるが、自分という器がどれほどの大きさなのかまだわからない。だから、捨てない、捨てられない。捨てずに詰め込んでもまだ「満載感」がない。困ったことに「もう詰め込めない」といなるとイノベーションがやってきて、「袋」が大きくなるのだ。本棚が足りないと思ったら、もっと大きな本棚を手に入れるための財力がやってくる。そんな感じだ。
それでも、すでに体の方は「もうこれ以上詰め込むな」というメッセージを発生しつづけている。心=脳は、「まだスカスカだよ!これくらいで根をあげるんじゃねえ」とまだのたまっている。そのあたりのせめぎ合いを越えたところに、不惑があるのだろう

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51044373.html