高校生が感動した「論語」

家では親の手伝いもせず、外では老人にも席もゆずらず、相手を騙してでも人には勝ちたい。周りはぜんぶ競争相手だとネジリハチマキで勉強最優先の生活を送っている若者がいるが、本末転倒もいいところだね。人を思いやる余裕のないうちは、いくら勉強したって何も身につきゃしないよ。(学而第1-6)

35年間にわたり慶応義塾高校で「漢文」を担当してこられた教師、佐久協さんによる『高校生が感動した「論語」』(祥伝社新書)にある論語の口語訳の一節である。高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)
佐久さんは、高校生が論語に関心を示しながら、すぐ飽きてしまう原因を次の三点にまとめている。

一 弟子の言葉が偉そうで「ウザッタイ」
二 人物評や政治抗争や宮廷儀礼を述べた箇所が「ジャマクサイ」
三 口語訳だけでは意味が分からず、注を読まないと理解できないので、「カッタルイ」

そこで、佐久さんは自分流の翻訳をして、肩の凝らない論語を論じたところ、生徒たちはそれまでよりはるかに興味を示し、自分流の解釈をさえし始めたという。
世の中は、子供たちのおかしな事件が多発している。そして親たちも、さらにはまた、国家レベルでも人を思いやる余裕のない行いが起こってしまっている。
論語に感動する高校生がいるのだから、まだまだ捨てたものではない。まずは大人たちが教条主義にならず、素直な心を取り戻すことが必要なのだろう。ちなみに佐久さんの本は、30数年の教師生活の中で、生徒からの質問と試験答案の中の迷訳と珍訳を書きとめたノートがベースになっているという。こうした教師と生徒とのやりとりの中で社会は進歩をしていく。