「他力本願」の本来の意味

西本願寺

ある経営雑誌の経営者インタビュー記事で気に止まった言葉があった。「他力本願」という言葉である。その経営者は、顧客の声を聴くということが大事だという主張の中で、
「家が「他力本願」の浄土真宗だったせいで、自分を他人にゆだねることが自然に身についた」
と言う。
顧客に欲しいものを聞き、それを調達していくことは、確かに大事なことだと思う。他力本願の「他力」を「顧客」に置き換えるという視点が新鮮に思えた。
しかし、ネット検索などで、他力本願の本来の意味を知って驚いた。他力本願とは「ひと任せ」や「他人依存」という意味ではない。
これは浄土真宗の根幹を成す考え方のひとつで、

阿弥陀如来の本願の力によって成仏すること

という意味である。本願寺ウェブサイトでは、次のように解説されている。

「他力(たりき)」とは、自然や社会の恩恵のことではなく、もちろん他人の力をあてにすることでもありません。また、世間一般でいう、人間関係のうえでの自らの力や、他の力という意味でもありません。「他力(たりき)」とは、そのいずれをも超えた、広大無辺(こうだいむへん)な阿弥陀如来(あみだにょらい)の力を表す言葉です。
「本願(ほんがん)」とは、私たちの欲望を満たすような願いをいうのではありません。阿弥陀如来(あみだにょらい)の根本の願いとして「あらゆる人々に、南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)を信じさせ、称えさせて、浄土(じょうど往生(おうじょう)せしめよう」と誓われた願いのことです。この本願(ほんがん)のとおりに私たちを浄土(じょうど)に往生(おうじょう)させ、仏に成らしめようとするはたらきを「本願力(ほんがんりき)」といい、「他力(たりき)」といいます。

オリンパスが2002年に「他力本願から抜け出そう」というコピーの広告を打った。これに対して浄土真宗の側から、これは本来の言葉の意味を逸脱するもので、厳重な抗議があったという。結局、オリンパスは広告を撤回し、謝罪をしたという。
三省堂国語辞典をめくってみた。他力本願とは、

1.みだ(弥陀)の本願によって成仏すること
2.他人によって事をすること

とある。
かの経営者がいう、顧客の声を大事にしその声にゆだねて事業を行うという思想はすばらいしい。
しかし、そのことと浄土真宗の他力本願を結びつけるのは問題があるように思った。言葉と言うのは難しい。宗教にかかわる言葉だと余計に気を使わなければならないと感じた。
顧客の声を聴くということをうまくあらわす「他力本願」に代わる、何か良い言葉はないのだろうか。
(参考)本願寺ウェブサイトhttp://www.hongwanji.or.jp/
(画像)世界文化遺産の京都・西本願寺http://www.digimake.co.jp/webtown/shimogyou/nishihonganji/nishihonganji.html