すべては野茂英雄投手の「わがまま」から始まった

HIDEO NOMO

野茂ファンのMasaさんから昨日のエントリーにコメントをいただいたので野茂投手について書くことにする。
野茂投手は、淡々とした日々のピッチングの中で自分自身の人生観そのものを表現できる稀有な存在のように思う。イチローが求道者であるならば、野茂投手は表現者(プレゼンテイター)だろうか。野茂投手はボールパークやテレビメディアなどを通じてその「表現」を多くの人に届け、それぞれの情報の受け手たちは野茂さんの表現の意味をさまざまに感じ取ることが出来ている。
もちろん、野茂投手自身もボールパークと言う空間の中でMasaさんたち野茂ファンのメッセージを肌で感じ取っているに違いない。日米通算200勝を難産の末に達成したとき、野茂投手が語った「ファンの声援のおかげ」という言葉は、Masaさんたちの「献身的(?)」なまでの「おっかけ」があっただけに実感がこもっていたように感じた。
今日の日本人選手のMLBでの活躍は、野茂投手のまさに「わがまま」から始まった。野茂投手の「わがまま」に感謝すると同時に、「わがまま」を実現するためのエネルギーと「誠実さ」にも感嘆させられる。
あの2回にわたるノーヒットノーランデンバーでもボストン(だったかな?)でも敵方チームのファンたちも野茂投手の偉業を自らのチームの選手のようにたたえてくれたシーンは忘れられない。あれは野茂投手の投球ににじみ出てくる「誠実さ」への称賛であろう。ふだんはぶっきらぼうで無口な野茂投手であるが、日本帰国時にテレビに登場し、日米のボールの違いや、ボールの握りについて語っていたときの「能弁さ」にも誠実さを感じた。
ここのところ、やや調子がいまひとつなのは心配だが、それもまた人生と考えてまた復活してくれることだろう。
さて、少し話は変わって影響力の大きいアルファブロガーである梅田望夫さんはウェブ(&ブログ)社会の本当の大変化について次のように語っている。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u105.html

「何かを表現したって誰にも届かない」という諦観は、
「何かを表現すれば、それを必要とする誰かにきっと届くはず」
という希望に変わろうとしている。

インターネットは、ブログの活用や検索技術の日進月歩ならぬ「分進月歩」の変化によって「総表現社会」が生まれつつあると梅田氏は分析をしている。
われわれもインターネットという表現空間の中で「明日の野茂投手」を目指して野球とは違う分野で表現をしていきたい。「きっと誰かに届くはず」という希望を持って。